2025 年末 北陸 その3
2026年 01月 03日

2025.12.29(月)
永平寺を詣でて、駐車場に戻ってまいりました。
福井市街、道路が碁盤の目のように整っています。
当初はベタですが、ヨーロッパ軒の本店に行ってみようかと思っていたのですが
近くに来た時点で行列が伸びているのが見えました。
パスっ
・・・ということで
ラッキーです。
お店は昔ながらの洋食屋さんという感じで、良い感じ。
これもまたベタですが、かつ丼(大) (4枚入り)にします。
福井のかつ丼といえば・・・・
ソースカツ丼 です。
ソースカツ丼とは、福井県のご当地グルメで、
薄くスライスされた豚肉をきめ細かいパン粉でカラッと揚げ、
熱々のうちにソースに絡めたカツをご飯にのせた料理です。
福井県の老舗洋食店「ヨーロッパ軒」が発祥で、
カツ丼と言えば玉子とじのものが一般的にイメージされる中で、
福井(市)では家庭でも飲食店でもソースカツが一般的です。
多くの定食屋のメニューから、スーパーの総菜コーナーにもソースカツが並ぶほど、
お馴染みのメニューとして県民に親しまれているソウルフードです。
材料も作り方も見た目もシンプルですが、その味わいはさっぱりと奥深く、
今では越前おろしそばと並ぶ福井のグルメのツートップとして君臨しています。
上から見るより、ビジュアル的!?には横からの方がインパクトがあるので💦

こちらが かつ丼(小) 2枚入り です。
大盛りはなかなかヘビーでしたが、朝食を控えめ!?にしておいたので
なんとかたいらげることが出来ました。
どうも御馳走様でした。

行きそうで行かない、福井の市街中心地を散策してみることにしました。
自分は一昨年(2023)の暮れに、出張で一度来ています。
まだ新幹線開通100日前のことでしたが・・・

まずはほど近くにある柴田神社に
北の庄と言った方が通じるかもしれません。12:40
北の庄城址・柴田公園について
北の庄城址(きたのしょうじょうし)・柴田公園は、柴田勝家(1523?~1583)が
築造した北庄城の一部が考古学的発掘により初めて検出された遺構の上にあります。
徳川期に結城秀康(1574~1607)がその遺構を大胆に改変し
福井城を造営していった様子も地層の切り合いの中で確認することができます。
その後、藩政時代はもとより、明治維新後から戦後・現代に至るまで、
この場所は福井の都市的中心部として発達してきました。
その意味で北の庄城址・柴田公園は、県都福井市の発生期を偲び、
その後の発展の歴史的形成過程を物語るかけがえのない史跡であるといえます。
さらに幾度か被災しながらもその度に甦り、近年公園と隣接する地に、
あたかもこれを護持するかのように柴田神社が再建整備され、
勝家公およびお市の方が合祀されています。
このことによって柴田神社は氏子のみならず、
全国の勝家・お市の方ファンがお詣りに訪れる神社となっているのです。
園内には、勝家公、お市の方、三姉妹の銅像が建てられているほかに、
勝家公の子孫であるとされる日本画家、平山郁夫氏揮毫による記念碑もご覧いただけます。
園内の資料館では、より詳しく勝家公や北庄城について知ることができます。
この公園は、平成19年に『日本の歴史公園100選』にも選ばれました。

夜は・・・??
福井駅のエキナカ「くるふ福井駅」が出来ていました。
越前がにのシーズンです。
JR福井駅に隣接し、細長く縦に続く商業施設が「くるふ福井駅」です。
北陸新幹線延伸とあわせて、前身の「プリズム福井」から
約半年間の改装期間を経て2024年3月16日にオープンしました。
売場面積は以前の1.4倍と大きく拡大。店舗数もプリズム福井のときからほぼ倍増し、
継続店舗と新規店舗を併せて42店舗が集まりました!
現在は福井県庁ですが・・・
福井城は、徳川家康の次男・初代福井藩主・結城秀康が慶長11年(1606)に築城し、
約270年間17代にわたり越前松平家の繁栄の舞台となった名城です。
築城当時は高さ37m・四層五階の雄大な天守閣が建っていましたが、
大火で焼失。現在では城下近郊の足羽山(あすわやま)で採掘される
笏谷石で築かれた石垣と堀の一部だけが残るのみです。
南に架かる御本城橋を渡った本丸御殿跡には福井県庁が建ち、
春には桜が咲き誇る天守台下には、福井の名の起こりとなったという
「福の井」と呼ばれる井戸跡があります。
これですかっ。



「福の井」とは
「福の井」は慶長6年(1601)の北ノ庄城(後の福井城)
築城当時からあった井戸と考えられています。
安永4年(1775)の「御城下絵図」の天守台には「福井」と記された井戸が描かれています。
この頃には一般に「福の井」と呼ばれ、福井城の特別な井戸となっていたことがうかがえます。
昭和23年(1948)の福井地震では、本丸の石垣がいたる所で崩れました。
「福の井」が崩壊することはありませんでしたが、井戸の形が大きく歪んだことから、
震災後に井戸枠が大きく作り変えられました。
「福の井」の整備
「福の井」のかつてを偲び、さらに親しんでいただけるように、
井戸の石積みや井戸枠を福井地震前の大きさに復元しました。
井戸の石積みは割れていて使えないものを除き、昔のままの石を使用しています。
また、井戸の上屋(ヒノキ造り、銅板葺き)や釣瓶は修景施設として新たに設置したほか、
井戸へ送っている水を井戸脇の給水栓へも送るように給水設備の整備を行ったことで、
井戸水により親しめるようになりました。
この給水栓の水は飲用することができ、完成式典では井戸の水を汲み上げる
汲み初めのあと、完成を記念して井戸水を使用した茶会を開催しました。
なお、整備後の「福の井」は、口径約1.6m、深さ約5.1m、水深約2.1mとなっています。
このような成り立ちの県って、果たして他にはあるのでしょうか?
ちょっとお仕事で・・・(略)
笏谷石(しゃくだにいし)は、福井県福井市の足羽山(あすわやま)周辺で
採掘される石材のことです。
約1600万年前の火山活動で降りつもった灰が固まってできた緑色凝灰岩で、
濡れると青色になることから「越前青石」とも呼ばれています。








駐車場から出ましょう。
継体天皇が1500年前に発見したと言われ、柔らかくて加工しやすいという特徴から、
いにしえから福井の至る所で利用されていました。

こちらの御廊下橋を渡って、堀を越えて場内から出ます。

平成17年度より県民に親しまれる福井城址となるよう、
福井城址の整備を進めてきました。
平成19年度は、福井城址の西側に架かっている御廊下橋の復元整備を行い、
平成20年3月29日に完成いたしました。
歴史的遺産として価値の高い福井城址に歴史的・文化の香りをそえ、
さらに親しみあるものとするために、福井城址の西側に架かる御廊下橋の復元整備を行いました。
明治初期に撮影された古い写真をもとに史実にできる限り忠実に復元します。
復元する橋は長さ14.5m(8間)、幅3.6m(2間)とし、
現在より3.5m短くなることから中央公園側の石垣取り付け部を延ばすとともに、
橋の取り付けを南側に1.6m移動します。
橋脚はクリ材、上屋はヒノキで造ります。上屋の内外の壁は、
ともに漆喰(しっくい)塗りで、外壁には下見板、内壁には腰板をはりました。


御廊下橋を渡って場外へ・・・


そして小一時間の散策を終えて戻ってまいりました。

市電が走っているので、電車通りと呼ばれているようです。

ホントに1時間以内の停車時間となりました。13:30
by chage_diary
| 2026-01-03 20:00
| お出かけ
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