2019 冬の道東 その7

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網走監獄に来てみました。






2019.02.22(金)


今まで何度も近くに来ていながら、一度も寄ったことの無い場所ってあるじゃないですか!?
自分にとっての網走監獄はまさにそういう場所でした。

今までは網走と云えば「通り過ぎる場所」であって、「留まる場所」ではありませんでした。
今日はこのあと知床のウトロに行って泊まる・・・ということしか決めていなかったので
網走監獄に行ってみることにしました。

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某KFCで昼食をとったあと、網走駅の前を走っています。

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こちを左折して天都山へ・・・

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踏切を渡りますっ。

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そしてこちらが入り口ですっ。

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平日ですので!?駐車しているクルマは少なかったのですが、意外と人出は多いという感じです。

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こちらの圧雪された坂を上り・・・

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この橋を渡ると・・・


受付があって、入場券を購入します。
自分はここで少々後悔をしていました。

「洋服が足りない」

です。

実は監獄の建物のイメージが強く、ずっと室内を歩くものだと思っていたので
1枚上着をクルマの中に置いて来てしまったのです。
でももう面倒くさいので、このままで歩くことにしました。


博物館網走監獄(はくぶつかんあばしりかんごく)は、北海道網走市にある博物館。

明治から網走と深い関わりを持っている網走刑務所の旧建造物を保存公開している野外博物館。国の名勝に指定されている天都山の中腹に位置し、網走国定公園のエリア内にある。

1985年(昭和60年)10月10日に公開開始となった「五翼放射状平屋舎房」は、刑務所の施設としては日本国内最古であり、木造の行刑建築としては世界最古となっている。

実際に刑務所の食堂として使用していた「網走刑務所旧二見ヶ岡農場食堂棟」と「監獄食堂」では、現在の網走刑務所で収容者が食べている食事のメニューを再現した「体験監獄食」を提供している(期間限定)。



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この門の脇にて入場券を購入しました。


前に並んでいたのは、現在春休み!?中と思われる学生さんだったりします。
意外と客層!?が広いようです。


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見づらいとは思いますが、場内の概略です。建物がたくさんあります。


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こちらが正門のようです。

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通称「赤レンガ門」と呼ばれる網走刑務所正門は、重厚で威風堂々としており「最果ての監獄」と呼ばれ恐れられた時代の網走刑務所の威厳を感じさせます。 正門の左右には部屋が設けられ、一方は、正門担当看守が受け付けとして使い、もう一方は、面会に来た家族が申しこみと待合室に使いました。

赤レンガを際立たせている表面に艶のある煉瓦は、窯の中に塩を入れ、塩が分解する1,160度以上の高温で焼き上げるため、独特の釉薬をかけたような黒褐色の色をしており、形も普通の煉瓦より20 - 30%小さいのが特徴です。 現在はこのような焼き方はできないため、ここに復原した門はレンガ建築の歴史を知るうえで重要なものです。

建築年代:大正13年
再現年代:昭和58年
全長 23.22m



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この言葉を聞くと皆さん反応が凄い時代がありました。または番外地・・・とか。

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庁舎になります。

この建物は、刑務所管理部門の主軸となる建物で、最高責任者の典獄室をはじめ、会議室、総務課、戒護課、用度課、教育課、作業課の各課に区切られていた。
木造平家、寄棟瓦葺き屋根に屋根窓をみせる。屋根窓は、合計6カ所みられ、半円アーチ窓を建て込んでいる。

左右両端後方に両翼を延ばし、正面の切妻破風に半円アーチのドーマー窓を設けている。上部にフィニアル(頂華)風の鬼板を掲げた切妻破風に、半円のアーチの破風板意匠をみせ、奥に洋風窓を配置し、その下側に、同じ意匠の鬼板を掲げる入母屋屋根の車寄せポーチとしている。
小屋組みはキングポストトラスで、三角形のピラミッドを利用した木造トラス構造である。
入母屋造りの玄関は柱頭飾りの角柱で支持し妻壁に旭日章が飾られている。
外壁は下見板張ペンキ塗、腰は竪板張りで上下の窓が組みこまれている。
内壁は漆喰風仕上げで、要所に装飾を施しためがね石と呼ばれるストーブ煙突用の穴をあけた凝灰岩が嵌められている。天井は漆喰風仕上げ、要所に丸形の中心飾りが付けられていた。
至るところに意匠的な工夫がなされた明治期の官庁建築の典型となっている。

建築年代:明治45年
移築年代:昭和63年
面積 500m²



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普通の人はここに来たら最初にこの建物に入るのではないでしょうか??

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現在の網走監獄という施設そのものの中枢をなしていると思います。


上にも書いたように、上着が一枚足りないので
暖房の効いているこの建物内で暖をとりました。


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立派な建物でした。


庁舎を出まして探索を続けます。


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こちらは職員官舎を復刻しています。


刑務所職員官舎は通称「看守長屋」と呼ばれています。明治45年に刑務所敷地内に建てられ、幾度もの補修を経て、昭和58年まで刑務官の住宅として使用されていました。 木造平屋の三軒長屋で、瓦屋根などの外装や井戸、かまどなど大正・昭和の看守家族の生活の様子を再現しています。

建築年代:明治45年
再現年代:平成16年
延べ床面積:90m²



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中には時節柄、ひな人形が飾られていました。

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ここには入りたくないです。

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冬の網走観光の目玉!?はこの監獄と流氷なのでしょう。

この流氷・・・たしか知床のウトロから運んだと書いてありました。

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写真がありました。こんな感じです。


期待がふくらみます。


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休泊所でしょうか。


受刑者が塀の外に出て、日帰りできない作業をする場合は「休泊所」と呼ばれた仮小屋で寝泊まりしました。
札幌と網走を結ぶ中央道路の開削にあたり、明治24年4月から11月までの8ヶ月間に、延べ1,000人以上の受刑者が投入され、工事の進行に伴い、次々と休泊所を建てては移動していきました。

別名「動く監獄」と呼ばれ、その建て方は丸太が材料で、壁は60~90㎝位掘って割り板を縦に打ちこみ、部屋の中央は土間で、突きあたりがトイレでした。それには、囲いはなく四六時中監視されていたのです。寝床は板張りで、枕の代用として丸太棒が床に釘づけになっており、夜具は薄い柏布団1枚でした。
出入口も1か所で、逃亡を防ぐ作りになっています。あとにこれらの休泊所の様式が開拓時代の工事現場に取り入れられ、タコ部屋と呼ばれました。

建築年代:明治24年
再現年代:昭和58年
全長:12m




これまで陳列されて来ているものを観ているのですが、
そこかしこに人形があって、それが結構リアルなのです。
建物だけでは伝わらない悲惨な光景が伝わって来ます。

今は真冬で寒いのも手伝って、その感情が倍加されています。


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リアルですよねぇ。


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耕耘庫だそうです。

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農園刑務所として全国的に有名な網走刑務所は札幌農業伝習学校(現在の北海道大学農学部)卒業の技官を採用してアメリカの近代農業制度を取り入れ、その技術は非常に進歩したものでした。

刑務所内の敷地だけでなく、網走市郊外の二見ヶ岡、湖畔、住吉といった各農場の拡張が進められ、日本で唯一水田を持つ刑務所となり、その実績が認められ、大正11年に司法省より「農園設備特設刑務所」に指定されました。この耕耘庫には当時農機具や肥料が収められていたのです。

建築年代:明治24年
再現年代:平成14年
面積:77.76m²



あまりに・・・番外地のイメージが強く
ここ網走はさいはての極刑の地だというすり込みがされたまま来たのですが
なかなかハイテク!?な一面も持っていたのですね。


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鍛冶なども行われていたようです。

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漬物庫にて


冬の間、野菜が不足する網走では、秋に収穫した野菜を越冬用として貯蔵し、漬物として補いました。
一回の食事で収容者の与えられる漬物の量は約25グラムで、「たくあん」なら3切れほどでした。夏場はキャベツ、ハクサイ、キュウリ等の新漬を食べ、霜がおりる頃になると刑務所内の空き地には丸太が組まれ、たくあん用の大根干しが始まります。
二十五石桶という、直径、深さとも1.6mの巨大な桶に約3,000本の大根をつけこみました。

建築年代:明治24年
再現年代:昭和58年
面積:72.9m²



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まだロクに歩いていないのに、見所がたくさんあって進みません。
嬉しい誤算!?です。
もっとあっさりしていると思っていたので・・・


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そして監獄歴史館へと入ります。


歴史館メイン展示は、中央道路の開削をテーマにした映像展示です。
左右前方の3面に映し出される映像が1世紀前の過酷な道路現場にタイムスリップしたような リアリティです。五感を使って「赫い囚徒の森」体感シアター(上映時間:7分、5ヶ国語音声対応)ご覧ください。

建築年代:平成22年




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メインではありません。近代・現代?の刑務所を再現してありました。

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ある意味、縁があるとすればこちらなのかも・・・・

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過酷な道路現場でも逃げないように繋がれます。

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体感シアターが意外にもズズーンと心の奥に入って来ました。
当時の犯罪者も大変でしたが、看守もなかなかの重労働だということを知りました。

ヤ○ザ映画に出て来る犯罪者も何ですが、
この時代の政治犯って、時代の趨勢がちょっと変わっていれば
国を仕切っている側だったかも知れませんから。

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でも、やっぱりありました。


さて、お次はいよいよ自分が見てみたかった舎房及び中央見張所に向かいます。

やっぱり表は寒いですっ。


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見えて来ました。

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こちらが入り口です。


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写真をお借りしました。これが一番わかりやすいかと・・・

この建物は木造平家建、中央見張所を中心に側面から後方に放射状に建つ五つの舎房からなり、間を渡り廊下で接続しているため五翼放射状房と呼ばれている。舎房外壁は下見板張で、屋根は桟瓦葺だったが、現在は鉄板葺となっている。

舎房は北から順に第一舎から第五舎とし桁行きは第1・3・5舎が58.2m第2・4舎72.7mである。 内部は中央を通る向かい房、第4舎80房と第5舎奥の20房を1.5坪の独居房とする以外は、各棟3坪の雑居房で226房の構成である。厚さ7mmの明り取り窓が第1・3・5舎は2ケ所、第2・4舎は各3ケ所付いてる。

壁を破られないよう壁内の柱は雑居房で約30cm間隔、独居房は約21cm間隔で密に立てられている。
小屋組は下弦材を鉄筋でつないだクイーンポストトラスの小屋組、中央部分は逆Yの字の鉄筋の開き止めを露出させている。床は煉瓦敷の土間、房は板敷きで各房の隅に便所用の枠を設け、房内の壁は木摺漆喰塗りで房天井は厚さ15mmの板を張った鏡天井である。

通路と房を隔てる壁は中央を木製扉、両脇を竪格子、上部に鉄格子付きの窓が付いている。竪格子は平行四辺形断面もしくは「く」の字形断面の格子となっており、換気や暖房に配慮しつつ向かい房同士が見通せない工夫がなされている。木製の扉は片開きの框戸で上部に鉄格子付きの視察孔、下部に食器口を設け、大型の鉄錠がつけられている。房内の壁側は床から1.5mの高さに欄間付き引違ガラス窓で外に鉄格子がつけられている。
中央見張所は、中央八角形の哨舎を置き各舎房の渡り廊下を見通すようになっている。


建築年代:明治45年
移築年代:昭和60年
面積:3,333.72m²



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こちらを入って・・・

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1方向だけを見るとこんなです。

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パノラマ的に見るとこんな感じです。

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逃げている・・・ということでしょうか!?

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実際に使っていたままなのでしょうね。

5方向全部を歩くと結構な距離なので、2方向だけにしておきました。
何だか歴史を感じます。


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そして戻りつつ浴場にも寄ってみました。

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受刑者にとって、入浴は所内の生活で最も楽しみな一時です。 網走刑務所では、明治45年にコンクリートの浴槽にボイラーで湯をわかす近代的な浴槽を作りました。

作業場ごとに15人ずつが、看守の号令のもと、脱衣に3分、第1槽入浴3分、洗身3分、あがり湯の第2槽入浴3分、着衣に3分というように、脱衣から着衣まで15分間で効率よく入浴しましたが、1日に入浴できる人数は200人程度でした。
この時代の監獄則では、6月から9月まで月5回入浴、他の月は1回入浴と定められていましたが、現在は、1日おきに入浴できるようになりました。

建築年代:明治45年
再現年代:昭和58年
面積:208.22m²



何の下知識もないまま、ほぼ1周して来ました。
そしてもう1度庁舎に入ります。

気になっているものがあったので・・・(汗)


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煉瓦造り独居房

網走刑務所では、明治時代末期より、本州の監獄から煉瓦造りの技能を持った囚人を受け入れて煉瓦を焼き、出来上がった煉瓦を使い、塀や門、倉庫、独居房などの様々な施設造りを行いました。
この独居房には、窓がなく、扉は二重、しかも煉瓦の壁の厚さは、40cm以上もあります。刑務所の規則の移り変わりにあわせ「懲罰房」「鎮房」「保護房」と呼び名も変わりました。。
明治時代の監獄の規則には、規則違反者を窓の無い真っ暗な部屋に閉じこめ、食事を減らし、反省させるという厳しい罰則があり、この独居房も当時の規則に合わせて建てられたものと考えられています。

建築年代:明治45年
移築年代:平成3年
面積:10m²



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独立型独居房

独居房は、1囚1房を理想とする監獄法に基づいて、網走分監創設時には16棟あり、明治45年の再建時には34棟ありましたが、社会復帰が行刑の目的となるにつれて、「社会性が養われる雑居が重視されるようになったことと、管理の手間がかかること」から次第に使われなくなりました。
当時の資料をもとに再現した独居房は、板張りの小屋で、屋根は瓦葺き、内部は土間と居室に分かれ居室は畳2枚分の板張りになっていて、入口と欄間から明かりが入るだけです。

建築年代:明治45年
再現年代:昭和58年
面積:4.86m²



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教誨堂

この建物は教誨事業の行われた講堂で、教誨とは収容者対して行う精神的、倫理的、宗教的な強化指導のことである。僧侶や牧師さんが受刑者に人の道を説き、更生へと導くように尽くした場所でもある。
建築にあたり、受刑者は精魂こめて作ったと語り継がれている。
屋根は桟瓦葺入母屋造りである。 小屋組みは二重梁より上にキングポストトラスを組み込んだ大スパンのクイーンポストトラスで、柱と陸梁を方杖で固め、無柱の大空間を実現している。
内部は板張の一室で、正面舞台と左右に脇室を供える。内部の壁は漆喰風仕上げで腰板は竪板張り、天井は蛇腹を二重に廻し折り上げた天井で、丸形の中心飾りが三箇所付けられている。外壁は隅のみ柱形を付けた下見張で、腰を竪板張り、櫛形ペディメント付きの上下窓が設けられている。軒は垂木で隅を扇に配り、軒反りを付け、妻飾りの破風には植物の葉をあしらった独特の鰭付懸魚を吊っている。和洋折衷の意匠や技法を組み合わせた建築である。細やかな細部意匠に司法省の設計水準の高さや施工技術が示されている。

建築年代:明治45年
移築年代:昭和56年
面積:404.87m²


などなど、重要文化財クラスの建物を含めて
数々のものがありました。


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小一時間でひと周りして来てしまいましたが、もっと時間をかけてじっくり見ることも可能だったかと思います。
展示物の 内容が濃い です。

これまでは自然なものに重点を置いて廻っていた北海道でしたが
やっと来られて良かったです。
ここはお薦めポイントになりました。


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そして気になっているものを購入・・・帰りのヒコーキの金属探知器には当然ひっかかりました。
by chage_diary | 2019-02-27 21:40 | 北海道ツーリング | Comments(0)
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