2018 秋 栗駒・鳴子・山形 その2
2018年 11月 11日
ご存じ稲庭うどんです。
2018.10.06(土)
栗駒山を散策した後は、昼食を食べるべくR398で山を下ります。
ここからそのまま鳴子温泉に行ってしまうと、あまりに早すぎる到着になってしまうので
反対側の秋田県湯沢市方面に向かいました。
30分も走ると 稲庭に到着ですっ。
稲庭うどん(いなにわうどん)は、秋田県南部の手延べ製法による干しうどんである。日本三大うどんのひとつに数えられる。ひやむぎより太く、やや黄色味かかった色をしている。
製法としては、うどんというより、そうめんに近い。打ち粉としてデンプンを使う点や、平べったい形状が特徴。ひねりながら練るという独特の製法により、麺は気泡により中空になっている。そのため滑らかな食感が得られる。
一般的に流通しているのは乾麺であるが、地元および県外のアンテナショップ等では半生麺も入手できる。
稲庭うどんについて記述のある「稲庭古今事蹟誌」によると、寛文年間以前に秋田藩稲庭村小沢集落(現:秋田県湯沢市稲庭町字小沢)の佐藤市兵衛によって始まると伝えられている。また、秋田には同じ製法で作った「稲庭そうめん」もある。
各地に伝わるふるさとの味として、2007年(平成19年)、農林水産省により「農山漁村の郷土料理百選」として選ばれた。
稲庭うどん 美味しいですよねっ。
以前一度入ったことがある 佐藤養助商店 に入ってみます。
まだお昼過ぎなので混んでいると思いきや、待ち時間無しで入れました。
よかった。
そしてほどなくして出てきました。今日は天ぷらもつけてみました。
お味は期待を裏切らないものですが、ちょっといいお値段だと思います。
普通のうどんつゆと胡麻だれで頂くことが出来ます。
うん、美味しかった。
食べ終わったあとに、併設されている工場を覗いてみます。
たぶん混んでいる時に、見たりして見聞を深めるための施設を兼ねているのだと思います。
食べる前は誰もいなかったのですが、よくよく考えてみると昼休みだったのでしょう。
こちらで打って
伸ばして
伸ばした麺を乾燥させています。
こちらで束ねて商品にっ・・・
以前足踏みでうどんを打ったことがありますが、これはなかなかの体力を消費した記憶があります。
これだけのことをするから、あのコシが出るのでしょうね。
どうもごちそうさまでした。
これ以上北に行ってしまうと戻るのが大変なので、ここで折り返すことにします。
今下って来た方角に引き返します。
でも同じ道(R398)はつまらないので、一本西側の通り(県道307→51→310)を走ります。
そしてたどり着いたのは・・・
泥湯温泉 です。
こちらです。
何年か前に火災に遭ったという記憶があったのですが、温泉は営業していました。
江戸時代から「安楽泉」と呼ばれて親しまれてきた秋田県湯沢市の泥湯温泉。営業する2軒の旅館のうち、奥山旅館は2016年7月13日の火災で本館や別館など3棟が全焼した。来年4月中旬の宿泊営業再開に向けて、施設の再建を進めている。
奥山旅館は火災後も、日帰り入浴の営業を続けている。今年7月に着工した宿泊施設は木造2階建てで、客室を九つ備える。
泥湯温泉を含む一帯は、白い山肌からガスが噴き出す川原毛地獄や上の岱地熱発電所などがあり、「ゆざわジオパーク」の拠点となっている。宿泊施設にはジオパークのミニミュージアムなどを設け、観光の拠点としての役割も担う。 2018年9月29日03時00分
今晩は温泉宿なのですが・・・入ってみます。
この露天風呂の脱衣所がある棟は以前のままです。
男湯は右側・・・
幸せなひとときです。
ここの湯船はその辺の山からそのままお湯をひいている、いわゆる野湯の雰囲気が満載な温泉です。
お湯はちょっと熱いのですが、底には泥がそのまま沈殿しています。
まさに泥湯温泉の由来なのでしょう。
一緒に入っていたおじさん(=自分もですが)と世間話などをしながら
ぼちぼち熱いので、浸ったり湯船の脇で冷ましたりを交互にしてみました。
今日は紅葉で道路も混んでいるから、ここからどう帰ったら良いのか・・・などとか話しつつ
時間があればゆっくり顔(泥)パックなどをして楽しみたかったのですが、約一名を待たせているので早々に上がります。
早く復活しますように。
ということで、泥湯温泉をあとにします。
そのまま走ると 川原毛地獄というところを通りがかります。
こんな山のまっただ中ですが、そこの山だけ白いのです。
川原毛地獄(かわらげじごく)は、秋田県湯沢市にある霊場。青森県の恐山、富山県の立山と並ぶ日本三大霊地の一つと言われている。近くに川原毛大湯滝がある。標高は約800m。ゆざわジオパークのジオサイトに認定されている。
807年(大同2年)に月窓和尚が霊通山前湯寺を建立したことが霊場としての始まりである。恐山・立山と共に日本三大霊地として数えられ、女人禁制の修験の地であった。月窓和尚が周辺の奇岩や池を血の池地獄や針山地獄など、136ヵ所の地獄に見立てたことが「川原毛地獄」の名称の由来になったとされる。
829年(天長6年)には、円仁(慈覚大師)が当地を訪れ、法螺蛇地蔵と自作のお面を奉納した。
1393年(明徳4年)、前湯寺が梅檀上人により三途川の十王坂に移築。さらに同寺は小野寺氏によって、1459年(長禄3年)に現在の湯沢市稲庭町字小沢に移築され、寺号を「嶺通山広沢寺」と改めた。
1623年(元和9年)から久保田藩が硫黄採掘場として採掘を開始。以来、1966年(昭和41年)まで硫黄を採掘していた。
1987年(昭和62年)に川原毛地蔵菩薩が建立される。
以前はこの先まで入って行かれたと思います。たぶん何かの事故でもあったのでしょう。
いつ来てもインパクトのある場所です。
ふり返ればこんな 普通のお山 です。
ホントはこの下流にお湯が流れ落ちている滝(夏季限定)もあって、寄ってみたかったのですが
今日は見送ることにしました。
県道310を西に走ります。
景色がひらけました。こちらは横手方面でしょう。
このあたりでは地熱発電を行っているようで
以前にはなかった太いパイプが道路沿いに敷設されていました。
それもかなりの長距離です。
工事用の大型車両の後を走りつつ、R108に合流しました。ここを左折すれば鳴子温泉までは一本道です。
前の晩も車中にて仮眠+α程度でしたので
長時間の睡眠を取ったわけではない&昼食後は満腹で・・・
なのも手伝って眠くなりました。
こういう時はムリをしないで寝てしまうのが一番です。
特に最近はここで頑張らず、とっとと寝てしまうことにしています。
30分も寝れば結構復活しますので、適当な駐車スペースを探しました。
こんな案内板がある駐車スペースでひとやすみしました。クルマからは降りていませんが・・・
復活です。(笑)
後は南に下ること小一時間・・・
トンネルを過ぎると宮城県に戻って来ました。
そしてほぼ!?鳴子温泉に到着です。
まだちょっと時間的には早い!?のと、明日台風が来襲したら観光どころではなくなってしまうので
前もって鳴子峡には寄ってみました。
大谷川が刻んだ深さ100メートルにおよぶ大峡谷。
春から夏にかけて緑が美しく、例年10月中旬から11月中旬にかけては、赤や黄色の美しい紅葉に染まります。
いつもスルーしていましたが、もしかしたら紅葉が観られるのでは!?と思いながら・・・
しかし
まだ普通に夏の終わりでした・・・(無理矢理赤い葉っぱがあるところを探して撮っています)
でも、ここは紅葉したらキレイなところだな・・・という気配はプンプンしていました。
などといいつつ甘いモノも頂きます。
まぁ、紅葉のピーク時はこんなに空いていないでしょうし
駐車場も有料でしょうから、ちょうど良かったのかも知れません。
そろそろ、良い時間!?(16:00過ぎくらい)になって来たので、鳴子温泉に向かうことにしましょう。
明日の台風に備えて!?めぼしいところには寄ってしまいます(汗)
鳴子温泉(なるこおんせん)は、宮城県(旧国陸奥国、明治以降は陸前国)大崎市鳴子温泉にある温泉。鳴子温泉郷の中心地である。福島県の飯坂温泉、宮城県の秋保温泉とともに奥州三名湯に数えられた。
また、玉造郡旧鳴子町にあたる現在の地名でもある。厳密には「鳴子温泉」という大字があるわけではないが、旧鳴子町の大字「鳴子町(大字)○○」が「大崎市鳴子温泉○○」という大字になっている。
仙台弁をはじめとする東北弁の発音から、「なるご-」と濁音で呼ぶ者も多い。
普通の人は入ってこないようなところから入って行きます。
鳴子といえばこけしのようで・・・支柱もこけしでした(驚)
約一名、御朱印が頂きたいというので、温泉神社というところに寄ってみます。
こちらです。あまり人気もなかったので、今日はダメかな・・・と思ったのですが
間に合いました。よかった。
承和2年4月(835)鳴子温泉鳥谷ケ森俄かに鳴動すること数日にして遂に轟然と爆発し熱湯を噴出した。この年の10月朝廷は、この地に一社を建てて、温泉神社を祀った。この湯を鳴声(なきごえ)の湯と称した。続日本後記巻六承和10年9月5日に玉造温泉神に従五位下が授けられた。明治7年8月村社に列格。昭和19年8月供進社に指定された。延喜式内社である愛媛道後温泉の湯神社、兵庫有馬温泉の湯泉神社、栃木那須温泉の湯泉神社、福島湯本温泉の温泉神社とは類社でとくに島根県の玉造湯神社とは深い縁があると思われる。
このような能書きは、これを読むまで知りませんでした(汗)
目的を達成出来たので、そろそろ宿に向かいましょう。
by chage_diary
| 2018-11-11 21:20
| お出かけ
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