2013 紀伊半島【10】(2日目・その4)
2013年 09月 08日
丸山の千枚田です。
2013.08.23(金)
R42海岸沿いの堤防です。
熊野で昼食をとったあとはまたR42に戻り、しばらく南下します。
そしてほどなくして、獅子岩が出てきます。
この信号で左に入ったところにクルマを停められます。
こちらです。
獅子岩(獅子巌、ししいわ)は三重県熊野市井戸町、国道42号の七里御浜沿いに存在する獅子の形をした岩山。
高さ約25メートル、周囲約210メートル。砂浜を挟んだ東隣に位置する鬼ヶ城の海蝕洞などと同様、
波の侵食によって形成されたものであり、岬の先端に口を開いているように見える。
大馬神社の狛犬になぞらえられており、そのため大馬神社には狛犬が置かれないでいる。
国の天然記念物「鬼ケ城」(1935年〈昭和10年〉12月24日指定)に、
1958年(昭和33年)6月24日、獅子巌が追加指定され、国の名勝および天然記念物
「熊野の鬼ケ城 附 獅子巖」(くまののおにがじょう つけたり ししいわ)に名称が変更となった。
2004年7月には、ユネスコの世界遺産『紀伊山地の霊場と参詣道』の一部として登録された。
拡大してしまうとこんなになってしまいますが、遠目には本当に似ているのですよ。
・・・でも、そもそも獅子なんて日本に居なかったのに
いったい何時頃ついた呼び名なのか、気になってしまいます。
ちょっとだけ覗いて、先に進みます。
この辺りはしばらく砂浜が続くのですが、何となく開放的な雰囲気が漂っていました。
突然・・・日本最古の神社 なんてのが出てきました。
駐車場も空いていたので、クルマを降りてみることにしました。
花窟神社(花の窟神社)と云うそうです。
花窟神社(花の窟神社)は日本書紀にも記されている日本最古の神社といわれており、
古来からの聖地として今に続く信仰はあつく、全国から多くの参拝者がお越しになります。
花の窟では年2回、例大祭を行います。
神々に舞を奉納し、日本一長いともいわれております約170メートルの大綱を
岩窟上45メートル程の高さの御神体から境内南隅の松の御神木にわたします。
この「御綱掛け神事」は、太古の昔から行われており「三重県無形文化指定」されています。
こちらが御神体
御神体の高さは45メートル程だそうです。
紀伊半島という土地柄だからでしょうか!? 昨日から参拝ばかりしているような気が・・・
例によって「無事に帰れますように」とだけ拝んで来ました。
平安期の衣服です。
この先、R42からR311へ右折です。
その先の行程を載せてみました。
ここからはしばらく海沿いを離れて、内陸部へと入って行きます。
まずは・・・の目的地は
丸山の千枚田です。
丸山千枚田(まるやませんまいだ)は、三重県熊野市紀和町丸山地区にある
白倉山(標高736m)の南西斜面を利用した棚田群。
千枚田と言われるが、実際には高低差160m(標高90-250m)の谷合に約1,340枚(7ha)の棚田がある。
最も小さい田は、1枚で0.5m2しかない。
棚田の法面は野面積み(のづらづみ)を主とした石積みであり、西日本に多く見られる方式である。
千枚田と云われるところは、日本全国でもいくつかありますが
実際に千枚を超えているのはここ丸山千枚田と
能登の輪島にある白米千枚田くらいしか無いのではないでしょうか!?
今回は一昨年の秋以来の再訪ですから、様子はわかっていましたが
はじめて見た時はそれはびっくりしました。
写真は上から下に少しづつ下っています。
道路なりに走ると千枚田の上部をなぞって先に行ってしまうのですが、
今日は田んぼの中の道を下に降りて行ってみます。
上から見下ろした感じだと、何人かの人も居たことですし・・・
いゃあ、それにしても山の中だなぁ
なんとなくですが、遠山郷の下栗の里を思い出しました。
途中にあった駐車スペースから・・・ 収穫の秋も近いですね。
すでに刈り入れが始まっていました。
更に下った駐車スペースにクルマを停めて散策をしてみます。
遠くから見て人が居るなぁ・・・と思っていたのは
案山子でした(汗)
いゃあ、良く出来ていますね。
棚田の歴史を紐解いてみました。
この棚田がいつ頃造成されたかは不明ですが、西暦1601年(慶長6年)には
すでに2.240枚の田があったという記録があります。
しかしながら、昭和40年代半ばから始まった稲作転換対策による杉の植林や
昭和50年代以降の過疎・高齢化による耕作放棄地の増加によって、平成初期には530枚までに減少してしまいました。
地元住民たちは、「自分達の代でこの貴重な文化遺産を無くすわけにはいかない。
素晴らしい景観と農耕文化を後世に残し伝えていかなければならない。」と立ち上がり、
平成5年に丸山地区住民全員による丸山千枚田保存会を結成し、丸山千枚田の復元と保全活動が始まりました。
保存会結成後4年間で810枚の田の復元に成功し、1,340枚という日本でも最大規模の枚数を誇る棚田となりました。
1枚あたりの平均面積が約10坪と大変小さい田圃ばかりですので、
機械には頼らずほとんどが昔ながらの手作業で守られています。
日本中のどの地方も過疎化が進んでいますから、このような棚田を維持していくのは
並大抵の努力では厳しいようです。
そのおかげで自分などは、このような素晴らしい光景を見させて頂いていますが
もっと感謝の念を持ったほうがいいのかな・・・と思いました。
しばし、人間の英知に感動させて頂いた後に
先へと進むことにしました。
by chage_diary
| 2013-09-08 21:00
| お出かけ
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