県内ふらふら その3

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久喜から更に30kmほど、熊谷(旧妻沼)の歓喜院というところまでやってまいりました。






2017.06.10(土)


久喜市でラベンダーとあやめを楽しんだ後は、久喜から更に30kmほど北の熊谷(旧妻沼)まで行ってみます。
行くまでの道のりは基本的にR122~R125ですので、しょっちゅう走っている道なのですが
少し外れると、いままで行ったことのない場所となりました。
県内とはいいながら、知っているようで知らない場所です。


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妻沼聖天山(めぬましょうでんざん )に到着です。


何でわざわざここに来たのかというと、なんとこの妻沼聖天山は埼玉県で唯一の国宝なのです。
なにやら日光東照宮より凄い!?社殿があるとかないとか・・・

話やテレビでは聞いた(観た)ことがあったのですが、なかなか実物を拝むことが出来ませんでした。
やっと、その望みが叶いました。



歓喜院(かんぎいん)は、埼玉県熊谷市妻沼(めぬま)にある高野山真言宗の仏教寺院である。

日本三大聖天の一つとされる。一般には「妻沼聖天山(めぬましょうでんざん )」と称されることが多い。 「埼玉の小日光」とも呼ばれ(熊谷市の案内では本殿が国宝に指定された頃より「埼玉日光」としている)、参拝客や地元住民からは「(妻沼の)聖天様」などと呼ばれている。

寺伝では治承3年(1179年)に、長井庄(熊谷市妻沼)を本拠とした武将齋藤別当実盛が、守り本尊の大聖歓喜天(聖天)を祀る聖天宮を建立し、長井庄の総鎮守としたのが始まりとされている。その後、建久8年(1197年)、良応僧都(斎藤別当実盛の次男である実長)が聖天宮の別当寺院(本坊)として歓喜院長楽寺を建立し、十一面観音を本尊としたという。

中世には忍(おし)城主の庇護を受け、近世初頭には徳川家康によって再興されたが、寛文10年(1670年)の妻沼の大火で焼失した。現存する聖天堂(本殿)は、享保から宝暦年間(18世紀半ば)にかけて再建されたものである。平成15年(2003年)から平成23年(2011年)まで本殿の修復工事が行われ、平成22年1(2010年)1月18日に本体工事の竣功式を、平成23年(2011年)6月1日に竣功奉告法会を執行し、同日から一般公開が始まっている。平成24年(2012年)7月9日に聖天堂(本殿)は国宝に指定された。




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仁王門をくぐります。

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こちらが本殿(聖天堂)


平成15年(2003年)から平成23年(2011年)までの修復工事により創建当初の極彩色の彫刻が蘇った。総工費は13億5千万円。9億6千万円が国と県と市の補助金、3億5千万円が信徒の寄付である。奥殿の拝観には700円の入場料が必要(拝殿への通常の参拝には拝観料不要)。


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奥殿の拝観をしに来たようなものですから、入場料を納めて入ってみます。
入場は16:00まで(退場は16:30まで)でしたので、あまり残り時間はなかったようです。(15:30)
良かった。


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荘厳な建物です。

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こちらは南側


なにやらものすごい装飾を施した社殿です。
改修をしたのはつい最近のことですが、埃を被って色あせた状態で(ある意味)放置されて来たそうです。
近年あらためてその価値がわかったようですが、実物をあらためて観て凄さが伝わって来ました。


国宝

聖天堂(本殿) - 拝殿・中殿(相の間)・奥殿からなる廟型式権現造(日光東照宮などに見られる、複数棟を一体とした建築形式)の建物である。大工棟梁は幕府作事方棟梁の平内政信の子孫の妻沼の名工林兵庫正清で、子の正信の代まで享保20年(1735年)から宝暦10年(1760年)にかけて二十数年をかけて再建されたものである。奥殿は入母屋造、桁行3間・梁間3間、正面向拝付き、中殿は両下造(りょうさげづくり)、桁行3間・梁間1間、拝殿は入母屋造、桁行5間・梁間3間で、これらを接続して1棟とし、屋根はすべて瓦棒銅板葺きとする。奥殿は内外ともに彫刻、漆塗、彩色、金具等をもって華麗に装飾する装飾性の高い建築である。奥殿向拝南面羽目板の「鷲と猿」の彫刻は伝説的な彫刻職人の左甚五郎作とする伝承がある。実際の彫刻棟梁は石原吟八郎(吟八)と関口文治郎である。奥殿は柱、長押などの部材に地紋彫をほどこし、内法下の大羽目板には七福神、縁下には唐子遊びを題材とした彩色彫刻をほどこす。唐破風下には中国の故事にちなんだ「三聖吸酸」、「司馬温公の瓶割り」などの彫刻があり、拝殿正面唐破風下の彫刻は「琴棋書画」である。2003年から2010年にかけての屋根葺き替えと彩色修理を中心とする修理が実施され、当初の彩色がよみがえった。2012年、国宝に指定。



このあとの写真の彫り物にはひとつひとつ意味が込められているようで
最初にひとまわりした後、地元ボランティアの方の説明を聞かせて頂けることになり
もう一度ひととおりの説明を受けて、内容がわかりました。
その内容がもりだくさん過ぎて、ちゃんと伝えられないのですが・・・(汗)

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右側の南面が春を表しているそうです。左側の西面は夏だそうです。

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日光の東照宮が徳川家ゆかりのバリバリの官庁仕事だとすると、
ここ歓喜院は民衆からの寄付金で作られた、典型的な民間物件だそうです。

ですので、上の彫り物の真ん中の子供がフル○ン姿で居るのも、職人の遊び心がちりばめられているそうです。
日光では当然御法度。




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こちら北面は冬を表しているそうです。他の面より日差しを浴びる時間が少ないので色褪せが遅いそうです。



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そんなこんなで2周りしてしまいました。
この大きさの社殿ですが、内容が濃いです。

もう少し勉強してから来れば半日くらて観ていられる!?かも知れません。


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いいものを観させて頂きました。



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またそのうち日をあらためて来てみることがあるかも知れません。
by chage_diary | 2017-06-10 21:20 | お出かけ | Comments(0)
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