水郷 その3 鹿・・・

水郷 その3 鹿・・・_b0168647_2384190.jpg

これは地元に戻って来た時の田んぼの写真です。19:00近かったのですが、この季節は日が長いです。






2017.06.03(土)


佐原と潮来であやめを堪能しました。
もう、このまま帰ってもいいや・・・なんて思っていたのですが

ここから至近にそれなりに有名な寺社があります。

鹿島神宮 というところなのですが・・・

個人的な信仰上の理由!?により、いままであえてここは避けていたのですが
一度くらいは・・・と思い寄ってみることにしました。
(事情はこのブログを見ている方はおわかりかと・・・)

大人げないのですが、こればっかりはどうにもしようがありません(汗)

そんな心境のまま歩いてみました。


水郷 その3 鹿・・・_b0168647_22465388.jpg

大鳥居をくぐります。どうやら明日稀勢の里が来るようです。


鹿島神宮(かしまじんぐう、鹿嶋神宮)は、茨城県鹿嶋市宮中にある神社。式内社(名神大社)、常陸国一宮。旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁の別表神社。

全国にある鹿島神社の総本社。千葉県香取市の香取神宮、茨城県神栖市の息栖神社とともに東国三社の一社。また、宮中の四方拝で遥拝される一社である。

茨城県南東部、北浦と鹿島灘に挟まれた鹿島台地上に鎮座する。古くは『常陸国風土記』に鎮座が確認される東国随一の古社であり、日本神話で大国主の国譲りの際に活躍する武甕槌神(建御雷神、タケミカヅチ)を祭神とすることで知られる。古代には朝廷から蝦夷の平定神として、また藤原氏から氏神として崇敬された。その神威は中世に武家の世に移って以後も続き、歴代の武家政権からは武神として崇敬された。現在も武道では篤く信仰される神社である。

文化財のうちでは、「韴霊剣(ふつのみたまのつるぎ)」と称される長大な直刀が国宝に指定されている。また境内が国の史跡に、本殿・拝殿・楼門など社殿7棟が国の重要文化財に指定されているほか、多くの文化財を現在に伝えている。鹿を神使とすることでも知られる。




水郷 その3 鹿・・・_b0168647_2247169.jpg


水郷 その3 鹿・・・_b0168647_2247865.jpg

こちらが楼門でしょう。

水郷 その3 鹿・・・_b0168647_22471678.jpg


水郷 その3 鹿・・・_b0168647_22472481.jpg


水郷 その3 鹿・・・_b0168647_22473191.jpg

稀勢の里・・・明日の朝はたいへんなことになりそうです。

水郷 その3 鹿・・・_b0168647_22473842.jpg


水郷 その3 鹿・・・_b0168647_22474977.jpg

こちらが拝殿・・・手前にテントがあるのは珍しいでしょう。


約一名がお参りしています。自分は信仰上の理由で・・・くどい。
たぶんサッカーを観ていなかったら、なんのわだかまりも無いのですが・・・


水郷 その3 鹿・・・_b0168647_22475644.jpg

参拝を済ませて奥参道へ・・・

水郷 その3 鹿・・・_b0168647_2248388.jpg

さざれ石

水郷 その3 鹿・・・_b0168647_22481153.jpg

鹿園

水郷 その3 鹿・・・_b0168647_22481825.jpg



なにやら奈良公園の鹿はこちらから運ばれたと聞いたような記憶があるのですが・・・


鹿島神宮の祭神、武甕槌命(タケミカヅチノミコト)は、 奈良の春日大社の祭神として勧請(神仏の霊を移し祀ること)されました。その際 、命は、常陸(茨城県)の鹿島から 白鹿に乗って出立され、一年ほどかけて 奈良の御蓋山(ミカサヤマ/春日大社)に至り鎮座された、とされます。このことに因んで、旅に出ることを「鹿島立ち」といわれるようになりました。



ということだそうです。なにやらスケールの大きい話のようです。



水郷 その3 鹿・・・_b0168647_224827100.jpg

奥宮の前の売店が見えて来ました。拝殿からここまで300mくらいの間はうっそうとした杜の中の一歩道でした。

水郷 その3 鹿・・・_b0168647_22483497.jpg

こちらが奥宮


現在の社殿は、慶長10年(1605)に徳川家康が関ヶ原戦勝の御礼に現在の本殿の位置に本宮として奉納したものを、その14年後に新たな社殿を建てるにあたりこの位置に遷してきたものです。




ここから参道が分岐して、観手洗 と 要石 に行かれるようになっていたのですが
まずは 観手洗 まで下ってみました。


水郷 その3 鹿・・・_b0168647_22484179.jpg

所要5分という感じでしょうか。

水郷 その3 鹿・・・_b0168647_22484997.jpg



観手洗池

1日に40万リットル以上の湧水があり、水底が一面見渡せるほど澄みわたった池です。昔は参拝する前にここで禊をしました。現在では、年始に200人もの人々が大寒禊を行います。





水郷 その3 鹿・・・_b0168647_22485742.jpg


水郷 その3 鹿・・・_b0168647_2250667.jpg


水郷 その3 鹿・・・_b0168647_22501575.jpg

奥宮の売店まで戻って来ました。


水郷 その3 鹿・・・_b0168647_22502273.jpg


水郷 その3 鹿・・・_b0168647_2250292.jpg

要石へ・・・


要石

地中深くまで埋まる要石が、地震を起こす鯰の頭を抑えていると古くから伝えられています。水戸の徳川光圀公がどこまで深く埋まっているか確かめようと7日7晩にわたって掘らせたものの、いつまで経っても辿り着くことができなかったばかりか、怪我人が続出したために掘ることを諦めた、という話が黄門仁徳録に記されています。



思っていたより規模が大きいのですね。
なかなか神聖な雰囲気が漂っていて、荘厳な場所でした。


水郷 その3 鹿・・・_b0168647_22503794.jpg

右 2.5km のところにはちょくちょく行くのですが・・・(汗)

水郷 その3 鹿・・・_b0168647_22504797.jpg

拝殿に戻って来ました。

水郷 その3 鹿・・・_b0168647_22505920.jpg

コレがなければ手放しで良いところなのですが・・・

水郷 その3 鹿・・・_b0168647_2251617.jpg

という感じで、はじめての鹿島神宮詣でを無事!?終えました。



せっかくここまで来たので、2.5km先の施設をかすめつつ海沿いに出てみます。

水郷 その3 鹿・・・_b0168647_22511557.jpg

ここはホントの外海なので、波が強い時が多いです。相模湾岸で育った自分は軟弱・・・なのかも。

水郷 その3 鹿・・・_b0168647_22512250.jpg

護岸工事らしき作業が続いていました。


そんな感じで帰途につきます。
道はアウェイゲームと同じですので、ある意味勝手知ったる・・・です (汗)

途中で眠くなって、仮眠をとったりしながらも明るいうちに地元に戻って来ました。
この季節は日が長いです。

水郷 その3 鹿・・・_b0168647_22512929.jpg

19:00をまわっていますが、見事な夕焼け空でした。

水郷 その3 鹿・・・_b0168647_22513755.jpg



初夏の水郷めぐり、良かったです。
今度こっちに行くのは・・・またアウェイゲームかな (笑)
by chage_diary | 2017-06-03 22:50 | お出かけ | Comments(0)

主に週末絵日記になると思います。


by ちゃげ
カレンダー
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31