2015年末 三重 その7

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須賀利町の街中散策がつづきます。






2015.12.30(水)


須賀利町の散策をしつつ、普済寺というお寺さんに紛れ込み
住職さんと世間話をしてまいりました。
街中散策を続けます。


須賀利町(すがりちょう)は三重県尾鷲市の町名。郵便番号は519-3421。住民基本台帳による2013年11月30日現在の世帯数は165世帯、人口は276人である。

尾鷲湾北部、須賀利湾に面した漁村であり、尾鷲市の飛地である。尾鷲市街とは海を挟んで向かい合っている。1982年(昭和57年)に三重県道202号須賀利港相賀停車場線(須賀利道路)が開通するまで自動車で訪れることが不可能であった。道路の開通により、陸続きの紀北町との関係が深くなってきている。2012年(平成24年)9月29日に須賀利巡航船が廃止されると尾鷲市から紀北町へ生活圏を移す傾向が加速している。



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普済寺をふり返りつつ階段を下ります。

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降りました。路地を歩きつつ・・・

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もう一度ふり返ります。結構な階段でしたね。

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正面の堤防には扉があって海に出られます。

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米寿のお祝い!?で手形を取ったのでしょうか??

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お宮さんの掲示物もありました。

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港に出ました。本当に天然の良港です。


そんな港をふらふら歩いてみました。

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江戸時代には江戸 - 大坂間を往来する廻船の風待ち港として栄えた。明治時代には桑名から「赤須賀船」と呼ばれる日用品を積載した船が来航したため、須賀利から出ずとも楽に生活ができた。町村制施行時は、村民が単独村制を希望したものの、郡長が財政の不安定さから連合戸長役場を設置していた引本村との合併を説得して引本村の大字となった。しかし1897年(明治30年)2月に須賀利区会は地理的孤立と不便を理由に引本村からの分離を議決し、同年5月29日に県からの許可を得て同年6月1日から須賀利村として単独村制の道を歩み始めた。1915年(大正4年)、須賀利巡航船が運航を開始する。1945年(昭和20年)8月14日、アメリカ軍によって爆弾が投下される。1982年(昭和57年)、県道開通により自動車での往来が可能となる。



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とても年末とは思えない明るい日差しの中、
ゆったりとした時間が流れる港を散策出来るのは、幸せなことだと思います。

歩いている最中はそんなこと、考えていませんが (汗)


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海づたいに堤防の外を歩いて、街中に入るとお宮さんがありました。
ここから中に入って、小学校に戻って行きましょう。


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公道とも私道とも云えないような絶妙な空間でした。


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この「笑門」というお飾りをこの地方では良く見かけました。


伊勢の町を歩くと、家々の門口に注連飾りが掲げてあるのが目につきます。中央に「蘇民将来子孫家門」あるいは「笑門」「千客萬来」などと墨書きした門符(木札)が付き、左右にシデやウラジロなどを飾った太い注連縄です。正月の注連縄飾りは普通は松の内が過ぎればはずすのが一般的ですが、伊勢志摩では、一年間かけたままで過ごす風習があります。

それは、「その昔、この地を訪れたスサノオノミコトに、貧しいながらも慈悲深い蘇民将来が一夜の宿を貸した。ミコトは旅立つ時、今後は門符を門口にかけておけば、子孫代々疫病から免れると言い残した」という伝説があるからです。蘇民の子孫である証拠として門符を掲げ、無病息災を願うようになったそうです。つまり、家内安全の祈りを込めた「厄除け」の門符です。

ちなみに「笑門」とは、後に「蘇民将来子孫家門」を縮めた「将門」で、さらにこれが平将門に通じるのを嫌って「笑門」になったと言われています。。



・・・ということだそうです。調べてみるものです。

正月だけではなく、一年中飾ってあるようです。
地域によって異なる風習が今も残っているのって良いですね。



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小学校に戻ってまいりました。


名残惜しいですが、これにて須賀利町を後にすることにします。
基本的には観光客を呼び込む土地でもないので、食事をとるような場所もありませんし
そもそも朝食が美味しすぎてたくさん食べてしまったので、まったく腹もへっていません。

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さきほど歩いた堤防裏の道路を走って、戻って行きます。

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それにしてもいいところでした。宿泊施設があるようでしたら泊まってみたい気もします。

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このトンネルをくぐって、別世界から戻って行きます (違) 11:42
by chage_diary | 2016-01-03 21:20 | お出かけ | Comments(0)
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