2013 紀伊半島【31】(7日目・その3)

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「柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺」です。






2013.08.28(水)


高野山を後にし、R480~370で山を下って行きます。
今日のうちには自宅に帰らなければならないので、そろそろ帰宅モードなのですが
帰りがけにひとつだけ寄り道!?をしてみることにしました。

法隆寺 です。

何故、法隆寺なのかと云われると何も云えないのですが
自分の脳裏には東大寺は記憶に残っているのですが、
法隆寺は(修学旅行で行ったにもかかわらず)まったく記憶に残っていないのです。

なので、あえて行ってみようかと・・・



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良い天気です。

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山を下って来ると、柿の葉ずしの看板も・・・名産ですよね。食べたことはありませんが

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高野口ICに向かいます。

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夏の名残・・・かなっ。 この雲は

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現在は無料のR24のパイパス!?である五條道路に入りました。一昨年の秋にここでこのクルマが全県制覇しました。

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距離を稼ぎます。

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五條道路はまだ全通していないので、下道に降りますが流れが悪いです。

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しばらくは直進します。知らない名前の道が一杯あるなぁ・・・

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この突き当たりを左へ・・・法隆寺という案内が出てきました。

ちなみに以前法隆寺に来たのは15歳の時ですから、当然道などは何も覚えていません。
そもそも奈良県のどのあたりにあるのかも、良くわかっていませんでしたから
地図とナビに頼りながら、なんとか到着しました。

駐車場は平日だったからなのかガラガラです。
クルマを停めて法隆寺へと・・・


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地図を拝借しました。


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南大門です。ここを入って行きます。

法隆寺の玄関にあたる総門です。創建時のものは、永享7年(1435)に焼失し、
永享10年(1438)に現在の門が再建されました。



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門の中に五重塔が見えました。

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正面が中門です。


西院伽藍の本来の入口となる中門の深く覆いかぶさった軒、その下の組物や勾欄、
それを支えるエンタシスの柱、いずれも飛鳥建築の粋を集めたものです。
重厚な扉と左右に立つ金剛力士像(奈良時代)は、日本に残っている最古のものです。


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ここからは入ることが出来ません。

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金剛力士像は奈良時代のものかぁ・・・ すごいな。


ここまでは無料で拝観出来るのですが、この先は1000円也の拝観料がかかります。
誰もが知っている法隆寺!?だと思うのですが、どのようなものなのかを(自分が)おさらいしてみました。
案外、わかっているようでわかっていなかったりして(汗)


法隆寺は飛鳥時代の姿を現在に伝える世界最古の木造建築として広く知られています。
その創建の由来は、「金堂」の東の間に安置されている「薬師如来像」の光背銘や
『法隆寺伽藍縁起并流記資財帳』(747)の縁起文によって知ることができます。

それによりますと、用明天皇が自らのご病気の平癒を祈って寺と仏像を造ることを誓願されましたが、
その実現をみないままに崩御されたといいます。そこで推古天皇と聖徳太子が用明天皇のご遺願を継いで、
推古15年(607)に寺とその本尊「薬師如来」を造られたのがこの法隆寺(斑鳩寺とも呼ばれています)であると伝えています。

現在、法隆寺は塔・金堂を中心とする西院伽藍と、夢殿を中心とした東院伽藍に分けられています。
広さ約18万7千平方メートルの境内には、飛鳥時代をはじめとする各時代の粋を集めた建築物が軒をつらね、
たくさんの宝物類が伝来しています。国宝・重要文化財に指定されたものだけでも約190件、
点数にして2300余点に及んでいます。

このように法隆寺は聖徳太子が建立された寺院として、1400年に及ぶ輝かしい伝統を今に誇り、
とくに1993年12月には、ユネスコの世界文化遺産のリストに日本で初めて登録されるなど、
世界的な仏教文化の宝庫として人々の注目を集めています。



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こちらが五重塔


国宝<飛鳥時代>

塔はストゥーパともいわれ、釈尊の遺骨を奉安するためのものであり、仏教寺院において最も重要な建物とされています。
高さは約31.5メートル(基壇上より)で、わが国最古の五重塔として知られています。

この最下層の内陣には、奈良時代のはじめに造られた塑像群があり、東面は維摩居士と文殊菩薩の問答、
北面は釈尊の入滅(涅槃)、西面は釈尊遺骨(舎利)の分割、南面は弥勒菩薩の説法が表現されています。



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いゃ~っ、ぜんぜん観た記憶が蘇りません(汗)

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中門を内側から観ています。

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エンタシスと呼ばれる柱型


エンタシス(entasis)は、建築において、円柱の下部から上部にかけて徐々に細くした、
若しくは中部から上部にかけて細くした形状。古代ギリシャ発祥の建築方法である。
エンタシスを施した柱を下から見上げると、真っ直ぐに安定して見える錯覚を生むため、
巨大建築物の柱に用いることが多い。



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五重塔と金堂が並んでいます。


国宝 <飛鳥時代>

法隆寺のご本尊を安置する聖なる殿堂が金堂です。威風堂々としたこの建物の中には、
聖徳太子のために造られた金銅釈迦三尊像(飛鳥時代)、その左右には太子の父である用明天皇のために
造られた金銅薬師如来座像(飛鳥時代)、母である穴穂部間人皇后のために造られた金銅阿弥陀如来座像
(鎌倉時代)、それを守護するように樟で造られたわが国最古の四天王像(白鳳時代)が、
邪鬼の背に静かに立っています。そのほか木造吉祥天立像・毘沙門天立像(平安時代)の諸像が安置されています。

また天井には、天人と鳳凰が飛び交う西域色豊かな天蓋が吊され、周囲の壁面には、
世界的に有名な壁画(昭和24年焼損、現在は再現壁画がはめ込まれています)が描かれ、
創建当初の美しさが偲ばれます。



金堂は中に入ることが出来ました。


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こちらは大講堂


国宝<平安時代>

このお堂は仏教の学問を研鑽したり、法要を行う施設として建立されましたが、
鐘楼とともに延長3年(925)に落雷によって焼失しました。
幸い正暦元年(990)には再建され、ご本尊の薬師三尊像及び四天王像もその時に作られています。


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同じく外観です。


回廊は東側の鐘楼、中央の大講堂、西側の経蔵につながり、西院伽藍を形造っています。
平安時代以前の回廊は、経蔵、鐘楼の手前で閉じられ、大講堂、経蔵、鐘楼は回廊の外側に建っていました。
また西側より東側のほうが一間だけ長くなっているのは、金堂と五重塔のバランスを考慮したものだと考えられています。



回廊によって囲まれた西院伽藍をひととおり観終わりました。
大枚1000円を払っているので、ゆっくり観てみたいと思いつつ
順路の矢印に従い、次のエリアへと進んで行きます。

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東室・西室の横を歩きつつ、大宝蔵院へ・・・

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百済観音堂を中心とする東西の宝蔵には、有名な夢違観音像(白鳳時代)・
推古天皇御所持の仏殿と伝える玉虫厨子(飛鳥時代)・蓮池の上に座す金銅阿弥陀三尊像を本尊とする
橘夫人厨子(白鳳時代)をはじめ、百万塔や中国から伝えられた白壇造りの九面観音像・
天人の描かれた金堂小壁画など、わが国を代表する宝物類を多数安置しています。



建物そのものは新しかったのですが、中に所蔵されているものはそれこそ宝物でした。
一度は実物を観てみたかった玉虫厨子や、自分でも名前を知っていた夢違観音像などを拝むことが出来ました。

いままで真剣に調べたことは無かったのですが、ここにあったのですね(汗)


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悠久の時を経て変わらない光景

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東院伽藍へと向かいます。

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東大門をくぐります。正面に見えているのが夢殿

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国宝<奈良時代>

「中ノ門」ともよばれるこの門は、西院と東院の間に建っています。
かつては鏡池の東側に南向きに建っていたようですが、平安時代ごろに現在の場所に移されたといわれています。
この門は珍しい三棟造りという奈良時代を代表する建物の一つです。



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交差する寺外の道路です。道も家も落ち着いた感じです。

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夢殿に到着しました。


国宝<奈良時代>

聖徳太子が住まわれた斑鳩宮跡に、行信僧都という高僧が、聖徳太子の遺徳を偲んで天平11年(739)に
建てた伽藍を上宮王院(東院伽藍)といいます。その中心となる建物がこの夢殿です。
八角円堂の中央の厨子には、聖徳太子等身と伝える秘仏救世観音像(飛鳥時代)を安置し、
その周囲には聖観音菩薩像(平安時代)、乾漆の行信僧都像(奈良時代)、平安時代に夢殿の修理をされた
道詮律師の塑像(平安時代)なども安置しています。
この夢殿は中門を改造した礼堂(鎌倉時代)と廻廊に囲まれ、
まさに観音の化身と伝える聖徳太子を供養するための殿堂として、神秘的な雰囲気を漂わせています。



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鐘楼


国宝<鎌倉時代>

この鐘楼は袴腰と呼ばれる形式の建物です。内部には「中宮寺」と陰刻された奈良時代の梵鐘が吊されており、
中宮寺から移されたものといわれています。
この鐘は、古くから舎利殿の舎利を奉出するときや、東院伽藍で法要が営まれる時の合図として撞かれています。




そんなこんなで、法隆寺ひととおり観てくることが出来ました。
なにやら観光案内っぽくなってしまいましたが
これは自分の知識の欠如によるもので、お恥ずかしい限りです。

それにしても、今年の夏休みは

良く拝みました。

紀伊半島にはそうさせるものが集まっているような気がします。

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よしっ、そろそろ帰ろう。
by chage_diary | 2013-09-08 17:30 | お出かけ | Comments(0)
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