2013 紀伊半島【30】(7日目・その2)

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今日も根本大塔(こんぽんだいとう)に来てみました。






2013.08.28(水)


一乗院さんをチェックアウトした後、今日は壇上伽藍と金剛峯寺を観て行くことにします。
高野山は一日で観て廻るには広すぎる宗教都市で、とうてい全部は廻れないのですが
昨日行った奥の院と、今日廻る壇上伽藍と金剛峯寺に行っておけば
一応「高野山に行ってきた」と云えるくらいの要所は押さえたことになるのではないかと思います。

最も大前提!として、今日でこの夏休みが終わりなものですから
自宅まで帰らなければならないという話があるので、そろそろタイムアップなのです(汗)


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再度地図などを・・・


昨日の夕方に続き、まずは壇上伽藍から散策してみます。


壇上伽藍

奥の院と共に伽藍は、高野山の二大聖地です。 お大師様は、この地を賜った後、七里結界の法を修し、
現在の大塔の地を中心に伽藍地鎮の式を行われました。
西暦819年(弘仁10年)5月3日、地主の神として、丹生、狩場両明神を勧請し、
さらに壇上に大塔、金堂を初め諸堂、僧房の建立を計画されました。



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右側の手水場の方から入って来ます。

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大会堂です

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根本大塔(こんぽんだいとう)


この塔は、弘法大師、真然大德の二代で816年から70年の歳月をかけて完成したと伝えられています。
弘法大師は、この大塔を真言密教の根本道場のシンボルとして建立されたので根本大塔(こんぽんだいとう)と言い、
多宝塔としては、日本で最初のものでございます。本尊は、胎蔵大日如来(たいぞうだいにちにょらい)が安置され、
周りを金剛界の四仏が取り囲み、16本の柱には堂本印象画伯の筆による十六大菩薩が描かれ、
四隅の壁には密教を伝えた八祖像も描かれ立体曼荼羅(まんだら)を構成しています。
この絵と外壁は、平成の大修理の一環として修復・塗り替えが行なわれ、
北側に安置されている二体の仏は多聞天と持国天で、江戸時代の作とされ、
もとは中門に安置されていたものです。
高さ約48.5m、幅約23.5m四面で、現在の建物は、西暦1937年(昭和12年)に再建されたものです。



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金堂(こんどう)


高野山開創当時は講堂と呼ばれ、平安時代半ばから一山の総本堂として重要な役割を果たしてきました。
現在の建物は七度目の再建で、西暦1932年(昭和7年)に完成しました。
入母屋造(いりもやづく)りで本尊は高村光雲作の薬師如来。内部の壁画は木村武山画伯の筆。
内陣の両側には、平清盛が自らの額を割った血で中尊を描かせた、通称「血曼荼羅」の模写が掲げられています。



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御影堂(みえどう)


伝説の三鈷の松を前にして建つ宝形造りのこのお堂は、もと大師の持仏堂でした。
後に真如親王が描かれた大師御影をお祀りしたことから、御影堂と名付けられました。
堂内の外陣には十大弟子の肖像が大師の御影を守護するかの様に掲げられています。
現在の建物は、西暦1843年(天保14年)炎上後、西暦1847年(弘化4年)に再建されたものです。



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・・・とまぁ、歩いた順番に写真を撮っただけ!?なのですが、歴史を感じさせる建物ばかりですねぇ。





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壇上伽藍をぐるっと廻って根本大塔から戻る時に、何だかわかりませんが客引き!?のように声を掛けられました。
その時は何だかわからなかったのですが、今考えてみると下記の内容だったようです(驚)
もしかしたら、非常に珍しいものを拝めたのかも知れない・・・


2013年8月26日
高野山壇上伽藍 国宝・不動堂が3日間限定で特別公開されます!


みなさん、こんにちは!
8月27日から29日の3日間限定で、国宝・不動堂が特別公開されます!


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高野山壇上伽藍 建造物特別公開
国宝・不動堂特別公開

[日程]8月27日(火)~8月29日(木)
[公開時間]9:00~16:30
[拝観料]無料、事前申込不要

不動堂は建久8(1197)年、行勝上人の建立と伝えられ、
鎌倉時代の美しい書院造りの様式を残し、国宝に指定されています。

この、通常非公開の不動堂を3日間限定で開扉します(建物にはお入りいただけません)。
中世を代表する建築として国宝に指定されている不動堂は、内部の造形も大変優美です。
全国的にも珍しい紫檀塗りの須弥壇や、現存最古とされる襖障子などが見どころです。

皆さま、この機会にぜひ南海電鉄に乗って高野山へ足をお運びください!

南海電鉄より



・・・と思ったのもあとの祭り、実はあまり記憶に残っていません(汗)



不動堂とは・・・


このお堂は、西暦1197年(建久8年)に鳥羽上皇の皇女八条女院の発願により、
高野山一心院の開祖である行勝上人が一心院谷に創建されました。
その後、西暦1910年(明治43年)国宝建造物修理の際、現在の地に移されました。
現在の建物は、鎌倉時代の和様建築で、平安期住宅様式を仏堂建築に応用したもので、
本尊は、不動明王、脇侍は運慶作の八大童子です。
不動堂並びに八大童子は、国宝または重要文化財に指定されています。




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再び、蛇腹道を通って駐車場まで戻って来ました。


そして、お次は・・・

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金剛峯寺に行ってみます。

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山門をくぐりました。


金剛峯寺は、元は真然大徳のお住まいがあったところで西暦1131年(天承元年)10月17日に
覺鑁上人(かくばんしょうにん)が鳥羽上皇の許を得て大伝法院(だいでんぽういん)を建立され、
その後、豊臣秀吉公が亡き母の菩提を弔うために木食応其上人(もくじきおうごしょうにん)に命じて
建立させた寺院で、その名を青厳寺と呼び応其上人の住いとなりました。

その後、再三の火災によって焼失しましたが、現在の本殿は西暦1863年(文久3年)に再建されました。
西暦1869年(明治2年)3月に青厳寺と興山寺の2ヶ寺が統合され、
さらに全国の真言宗寺院を総括する管長職が置かれました。現在は、奥の院祖廟を信仰の中心として結成された、
高野山真言宗三千余寺、信徒約1千万人の総本山として、高野山真言宗管長兼金剛峯寺座主の住いとなっています。



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こちらは撮影禁止でしたので、中の様子は頭の中にしか残っていません。


たいそうな寺院で観て廻るにもいろいろなものがありすぎて、
一通り観て来た時には1時間近くの時間を要していました。

狩野探幽斎守信の襖や、蟠龍庭(ばんりゅうてい)と云われる国内で最大級の石庭
天皇、上皇が登山された際の応接間として使用されたという書院上段の間
大釜が据え付けられた台所・・・などと、非常に多彩で興味を持って観ることが出来ました。

総本山金剛峯寺

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駐車場に戻り・・・

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名残を惜しみながら、高野山を立ち去ることにします。


・・・そして、帰りがけに 大門 に寄ってみました。

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大門は、11世紀末頃に高野山の総門として現在の場所に建てられましたが、
お大師様のご開創当初には現在地より少し下がった九折谷(つづらおりだに)に鳥居が建てられていました。
現在の建物は、西暦1705年(宝永2年)に再建されたもので、両脇の金剛力士、阿形像(あぎょうぞう)は、
江戸時代の仏師、康意(こうい)、吽形像(うんぎょうぞう)は、法橋運長(ほうきょううんちょう)による大作です。
この建物は、正面桁行21.4m、梁間7.9m、高さ25.1mで、重要文化財に指定されています。
晴天の折には、遠く淡路島を望む事ができ、また、ここから眺める夕日は非常に綺麗なことから
夕日百選にも選ばれています。



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ということで、下界へと降りて行きます。


高野山・・・非常に印象深い場所でした。
正直云うと、宗教の世界とは無縁な人間だと思っていたのですが
そのような人間でも、引き込まれる何かがここにはありました。
by chage_diary | 2013-09-08 17:40 | お出かけ | Comments(0)
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