2013 紀伊半島【21】(5日目・その1)

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橋杭岩にて。






2013.08.26(月)


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5日目のルートは紫線で表示しています。


ホテル浦島での一夜を過ごし、浮世!?に戻って来ました。
日頃なかなか体験の出来ない、温泉のハシゴをアミューズメントパーク感覚!?で楽しむことが出来ました。


さて、今日のこれからの予定なのですが・・・

R42を海岸沿いに走り、本州最南端の串本近辺を散策し
あとは時間の経過によって、どうするかを考えるという相変わらずの流動的な予定です。

駐車場でクルマに戻ったあと、紀伊勝浦の市街地中心部を通ってみました。

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こんなアーケード街をクルマで通っちゃっていいのでしょうか!?

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こちらが紀伊勝浦駅前です。

紀伊勝浦駅(きいかつうらえき)は、和歌山県東牟婁郡那智勝浦町大字築地六丁目にある、
西日本旅客鉄道(JR西日本)紀勢本線(きのくに線)の駅である。
外房線の勝浦駅と区別するため駅名に「紀伊」を冠する。

紀伊半島の双方の付け根(名古屋と大阪)から等距離の駅で、
名古屋駅からの特急「(ワイドビュー)南紀」と、天王寺駅からの特急「くろしお」の双方が乗り入れしている。


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以前はクルマよりも鉄道での旅が多かったのでしょう・・・という名残を感じさせる通りでした。

その後さきほど戻ってきた港の前を通り、R42に出ました。
ここからはひたすら南へと向かっていきます。


JR紀伊勝浦駅から徒歩3分、勝浦温泉の中心地に位置する日本有数のマグロ基地であり、
延縄漁法による生鮮マグロの水揚げは日本一です。

土曜日を除く毎日早朝にはマグロがたくさん並び“セリ市”の光景を見学することができます。
その他、熊野灘でとれる新鮮な魚介類は、各旅館の宴会に食材として彩りを添えます。


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太地町に入ります。


太地町にはくじらの博物館などというものがあるのですが、
今日は寄らずにスルーして、走り続けます。

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幹線道路は走っていて飽きますねっ。

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そのうち雨が降り出して来て、路面は濡れてしまいました。

天気予報の通りだとは云え、やはり天気が悪いと気分が盛り上がらないですね。
道路が単調なのもあって、なんだか眠くなって来ました。
そんな中遠くに橋杭岩が見えて来ました。

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左手の海の中に林立している岩が橋杭岩です。

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ここが橋杭岩の一番陸地側になるのかな・・・


橋杭岩(はしぐいいわ)は、和歌山県東牟婁郡串本町にある奇岩群。
同町の大字鬮野川(くじのかわ)小字橋杭の海岸から紀伊大島方面へ大小約40の岩が南西一列に
およそ850メートルもの長きにわたって連続してそそり立っている。
直線上に岩が立ち並ぶ姿が橋の杭のように見えることから橋杭岩と呼ばれている。
また干潮時には岩の列中ほどに附属する弁天島まで歩いて渡ることができる。

吉野熊野国立公園に属しており、国の名勝や国の天然記念物の指定も受け観光名所となっている。
また橋杭岩を通して見る朝日はとても美しいと評判で日本の朝日百選の認定も受けている。

その昔、弘法大師と天の邪鬼が賭をして、一夜にして立てたという伝説も伝わっています。



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ということで橋杭岩に到着です。一昨年来た時と様相が変わって、道の駅となっていました。

2010年、串本町が和歌山東漁協の土地を買い取ったあと、熊交商事が指定管理者となり、
2013年、道の駅くしもと橋杭岩を開駅した。


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今日の陽気(涼しい>寒いくらい)の中では、ちょっと不釣り合いな南の花

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潮が引いている時間に到着しました。


新しく出来た。道の駅の建物の2階に展望スペースがあるようなので入ってみます。

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まだ真新しいエントランスです。

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2階に上ってみました。

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上から見下ろした感じのアングルとなります。

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岩のひとつひとつに名前が付いているのですねぇ。(驚)


ちょっと望遠気味の写真も撮ってみました。
ここの展望スペースは屋外ではありましたが、庇がついており
このように雨がパラつく天気の時にはありがたいものです。

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人の大きさとの対比で、岩の高さがわかるのではないでしょうか!?

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駐車場に隣接した港です。

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ちなみに彼方に見える島は大島と云います。このあとに行ってみようと思っています。

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他の場所に急いだところで雨だろう・・・と思ったものですから、30分くらいうろちょろしてしまいました。


さて、これからは本州の最南端エリアを散策してみることにしましょう。
・・・と意気込んでいますが、あいにくの天候ですね。

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トルコ友好の町 串本と記されております。 ご存じの方もいらっしゃると思いますが、その理由は後で・・・ 

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R42を外れ、県道41号へ入ります。

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まずは左折をして県道40号で大島方面に・・・


この串本の地を訪ねるのは、これで3回目なのですが
最南端の潮岬には毎回寄っているものの、この大島に関しては橋を渡ったところまでしか行ったことが無く
いつか先端部まで行ってみようと思っていました。


紀伊大島(きいおおしま)は和歌山県東牟婁郡串本町の沖合い約1.8kmの海上に浮かぶ
面積およそ9.68km2、周囲28kmを誇る和歌山県下最大の島である。

元来より大島と呼ばれてきたが、全国的に大島の名を持つ土地は数多く、
それらとの区別のため「紀伊」を冠し「紀伊大島」と呼ばれる。また、串本大島とも呼ばれる。

人口はおよそ2,000人で、和歌山県で唯一の離島振興対策実施地域ともなっている。
1890年には、日本とトルコの友好関係のきっかけとなったエルトゥールル号遭難事件が当島の沖で発生した。



なんせ紀伊半島の先端ですので、ここまで来るだけでも大変です。

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くしもと大橋を渡ります。


紀伊大島と本州の潮岬を結ぶくしもと大橋は、2つの橋からなり、
それぞれの長さは潮岬側から386m(ループ橋)、290m(アーチ橋)となっている。

本州とこの大島を橋で結ぶことは昔からの大願であったが、1999年(平成11年)9月8日に
和歌山県道樫野串本線とともに開通した。
このくしもと大橋の開通によりそれまで巡航船やフェリーに頼っていた大島内の交通が圧倒的に
便利になり本州側との格差が少なくなった。



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ループ橋を上っています。

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そしてアーチ橋を渡ります。


以前来た時はこの先にある駐車スペースで折り返しています。
さて、始めての大島なのですが・・・

外はかなりの勢いで雨が降っているので、あえて出ようという気にはなりません。
おまけにクルマを走らせている途中で、職場から電話が掛かって来ました(↓)
ちょっと大島に集中!?しずらい環境となっています。

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島内の道は終始こんな感じでした。ケータイの電波も遠く、圏外の場所もあったり・・・


そうこうしつつも、クルマで行かれると思われる島の東端に着きました。

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駐車場にクルマを停め、ここから先は徒歩になります。


雨も降っており、風もそこそこ吹いていますが
せっかくここまで来たので、樫野埼灯台まで歩いてみます。


島の東端に突き出した樫野埼には1791年(寛政3年)に米国の商船「レディ・ワシントン号」が
樫野崎に来航したことにちなみ、日米修交記念館が設置されている。

樫野崎にはこのほか1890年(明治23年)にトルコ軍艦「エルトゥールル号」が紀伊大島樫野埼灯台東方沖で
遭難し587名もの犠牲を出したエルトゥールル号遭難事件を記念するトルコ軍艦遭難者慰霊碑およびトルコ記念館、
また1870年(明治3年)に点灯した日本最古の石造灯台である樫野埼灯台もある。


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こちらがトルコ記念館です。

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トルコ軍艦遭難者慰霊碑

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エルトゥールル号という名の船でした。

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トルコ人が経営されていると思われお土産屋さんや、トルコアイスを供するお店が点在していました。

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先端にある樫野埼灯台が見えた時点で折り返します。


天気が良ければ、ゆっくりしてみたい場所だったのですが
傘をさしていても、カメラが濡れてしまうような天候ですから
灯台に入ってどうこう・・・という気分にはなれませんでした。

その代わり・・・というわけではありませんが、戻る途中でトルコ記念館に入ってみました。


エルトゥールル号の遭難の悲劇を機に犠牲者の慰霊を通じて串本町とトルコ国との交流が始まり、
昭和39年11月ヤカケント町と姉妹縁組みを結び、平成6年にはメルシン市との姉妹都市提携の
正式調印を交わしました。

トルコ記念館は、トルコ国との友好の証として、今後一層、日ト親善の契りを深めると共に、
国際的な友愛の精神を広く伝えることを目的として、建設されたものです。



なかなか知られていないトルコの親日感情なのですが、
根っこはこの事故に於いて、ここ大島の住民の献身的なふるまいにあるようです。

ちょっと長いのですが、下記の文章を引用させて頂きます。


日本人216名を救ったトルコ航空機

イラン・イラク戦争が始まった、1985年3月17日、イラクのサダム・フセインが「今から40時間後に、
イランの上空を飛ぶ飛行機を打ち落とす」ということを世界に向かって発信した。
イランに住んでいた日本人は、慌ててテヘラン空港に向かったが、どの飛行機も満席で乗ることができなかった。
世界各国は自国民の救出をするために救援機を出したが、日本政府はすばやい決定ができなかったため
空港にいた日本人はパニックに陥った。

そこに1機のトルコ航空の飛行機が到着した。トルコ航空の飛行機は日本人216名全員を乗せて、
成田に向かって飛び立った。タイムリミットの、1時間15分前であった。
なぜ、トルコ航空機が来てくれたのか、日本政府もマスコミも知らなかった。
この時、元駐日トルコ大使のネジアティ・ウトカン氏は次のように語られた。

「エルトゥールル号の事故に際して、日本人がなしてくださった献身的な救助活動を、
今もトルコの人たちは忘れていません。私も小学生の頃、歴史教科書で学びました。
トルコでは子どもたちでさえ、エルトゥールル号の事を知っています。今の日本人が知らないだけです。
それで、テヘランで困っている日本人を助けようと、トルコ航空機が飛んだのです」

※この事は、あまり日本人に知られていません。



昔のことであっても、その出来事を忘れずに恩返しをしてくれた
トルコの人達に我々は感謝をしなければいけないのでしょう。

この文を書いている時点で、2020年のオリンピック開催地は東京に決まったわけですが
最終選考の相手はトルコのイスタンブールでした。
自分は他の候補地に決まるくらいなら、イスタンブールが良いと思っていたのですが・・・



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そんなことを考えつつ、本降りとなった大島の地をあとにします。

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晴れていたら、全然違う景色なんだろうなぁ・・・

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突き当たりを左折して潮岬に向かいます。

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雨の中、潮岬に到着っ。


潮岬(しおのみさき)は、和歌山県東牟婁郡串本町に属し、太平洋に面する岬。
北緯33度25分59秒東経135度45分45秒。本州最南端(クレ崎)。

紀伊大島と並び、熊野地方を代表する観光地。吉野熊野国立公園の一部。
日本でも有数の台風銀座であり、台風の位置を表す指標にされることが多い。



関東からですと、それほど遠いところではないような気がしますが、それは直線距離でのことだと思います。
鉄道で来るとすると大阪か名古屋のどちらからでも4~5時間近くはかかりますし
クルマで来ても、ロスなく最短で走るとすれば
やはり大阪から高速道路を南下するしかないのでしょう。

今回のように何日も掛けて走っている分には、やっと到着した・・・という感覚なのですが。

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雨が強いので、クルマから降りることをためらっています。

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結局「本州最南端」の碑を車内から眺めるだけで、この地をあとにすることとしました。
7日間の夏休みもすでに5日目に入っていますが、そろそろ後半だな・・・という認識をした一瞬でした。
by chage_diary | 2013-09-08 19:10 | お出かけ | Comments(0)
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