2013 紀伊半島【17】(4日目・その2)

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八咫烏といえばサッカー日本代表を思い出す方も多いかと・・・






2013.08.25(日)


ここで、(自分の為にも)熊野三山の定義がどういうものかを確認しておきたいと思います。

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「熊野本宮大社(くまのほんぐうたいしゃ)」、「熊野速玉大社(くまのはやたまたいしゃ)」、
「熊野那智大社(くまのなちたいしゃ)」の3社を「熊野三山(くまのさんざん)」と呼びます。
熊野三山は、和歌山県の南東部にそれぞれ20~40㎞の距離を隔てて位置しており、
「熊野古道(熊野参詣道)中辺路」によって、お互いに結ばれています。

3社は個別の自然崇拝に起源を持ちますが、3社の主祭神を相互に勧請し「熊野三所権現」として
信仰されるようになりました。

また、世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」としては、神仏習合の過程で
熊野那智大社と密接な関係を持つようになった寺院「青岸渡寺(せいがんとじ)」及び「補陀洛山寺(ふだらくさんじ)」
の2寺も熊野那智大社とともに登録されています。
青岸渡寺は西国巡礼の第一番札所として、補陀洛山寺は補陀落渡海信仰で知られた寺院です。



ふ~ん、なるほど。

自分はその程度の感想しか出ないような人間なのですが、
ある時代(平安期でしょうか)に熊野詣が信仰の対象として盛んに行われるようになったのは、
伊勢参りと同様、その当時の日本人が癒しを求めて旅に出たのだろうなぁ。ということなのだと思いました。


日本人の観光を歴史的にみると、始まりは巡礼の旅であり、
その起源、流行は熊野詣でやお伊勢参りにあるといわれています。
熊野三山を目指す参詣道・熊野古道は、三重県・奈良県・和歌山県の三県にまたがり、
「紀伊路」「中辺路」「大辺路」「伊勢路」など、いくつかのルートがあります。
なかでも「伊勢路」は、伊勢参宮を終えた旅人や、西国三十三カ所めぐりの巡礼者た
ちが熊野を目指した庶民の道であるといわれる、伊勢と熊野を結ぶ参詣道です。

~伊勢に七度、熊野に三度~

人々は、来世の幸せを願って、伊勢神宮と熊野三山を何度もお参りをされました。



そういう意味では、今年の夏休みは巡礼の旅なのかなぁ・・・



場所を知らないところだからなのでしょうが、
熊野本宮大社には突然着いてしまったという感じなのです。
その手前にもう少し前触れ的!?な何かがあると思っていたものですから・・・

まずはクルマを駐車場に停め(無料でした)、参拝の準備をします。
(と云っても、傘を持ってカメラを取り出すだけですが・・・)

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道路を渡り、こちらの鳥居をくぐって参拝に向かいます。


全国の「熊野神社」の総本山にあたる熊野本宮大社。
三山の中でもとりわけ古式ゆかしい雰囲気を漂わせるのが、聖地熊野本宮大社です。

熊野参詣道のなかでも、多くの人々がたどった「中辺路」を歩くと、
難行苦行の道のりを終え最初にたどり着くのが熊野本宮大社です。
最初に熊野本宮大社を望む「伏拝王子」の名は、
やっとたどり着いた熊野大社を伏し拝んだ、との由来からと伝えられています。

この熊野本宮大社は、平成7年には社殿が国の重要文化財に指定されました。
本殿へと続く158段の石段の両脇には幟がなびき、生い茂る杉木立が悠久の歴史を感じさせます。

総門をくぐると檜皮葺の立派な社殿が姿をあらわします。
向かって左手の社殿が夫須美神(ふすみのかみ)・速玉神(はやたまのかみ)の両神。
中央は主神の家津美御子大神(けつみみこのおおかみ)。
そして右手は天照大神(あまてらすおおみかみ)が祀られており、
交通安全、大漁満足、家庭円満、夫婦和合、長寿の神として人々を迎え入れてきました。



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158段の石段を上りまって行きます。

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昨日山を歩いていたとは云いながらも・・・大変です。 ふうっ

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・・・などと云いつつ上りました。 まだ筋肉痛は出ていませんが・・・

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ここが門でしょうか!?

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この先は撮影禁止ですので、カメラは持っているだけです。

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屋根の一部分は遠目に見えました。


中に入ってみると・・・
なんと 改修中 でした。

社殿は仮設のネットに囲まれてしまって観ることができません。
内側は入り口の部分(賽銭箱が置いてあります)から、ちょっとだけしか観ることが出来ませんでした。
ちょっと 残念  ・・・かなっ。

もっとも何も調べてこなかった、こちらもこちらなのでしょうが・・・


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ということで写真をお借りしました。 こちらが本宮の姿です。


檜皮葺きの社殿ですから、ありがちな赤い柱に白い壁・・・という感じでなく、落ち着いた感じが好みです。
う~ん、実物を観てみたかった。


参拝を済ませて、社殿の門を出て周囲を歩いていると・・・

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八咫烏(やたがらす)の郵便ポストがありました。


本宮大社には昔懐かしい丸型ポストが設置されています。そのポストは見慣れた赤いポストではなく、
黒くて上に八咫烏の像が乗っていて「八咫ポスト」の名前がつけられています。
社務所では、平成21年に復活した本宮地域の伝統的な紙「音無紙」で作られたはがきが販売されていて、
このポストから投函することができます。八咫ポストが描かれた、切手を貼ると送れる絵馬もあります。



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八咫烏についての由来が書かれていました。


八咫烏(やたがらす、やたのからす)は、日本神話で、神武東征の際に、
高皇産霊尊によって神武天皇の元に遣わされ、熊野国から大和国への道案内をしたとされる烏である。
一般的に三本足のカラスとして知られ古くよりその姿絵が伝わっている。

現代では、日本サッカー協会のシンボルマークにも用いられている。
これは、東京高等師範学校(東京教育大学を経た、現在の筑波大学)の漢文学者であり、
日本サッカー協会の創設に尽力した内野台嶺らの発案を基に、
日本に初めて近代サッカーを紹介した中村覚之助(内野台嶺の東京高等師範学校の先輩でもある)に敬意を表し、
出身地である那智勝浦町にある熊野那智大社の八咫烏をデザインした物であり、1931年に採用された。



現代の世間一般の人が知っているとすれば、下の由来の方だと云う人の方が多いのでは?思います。


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足・・・ありますね。 三本

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立ち去る時に全景を・・・

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ということで、再び階段を下って行きます。


率直な感想を云うと、全国の「熊野神社」の総本山という割には意外に質素だなぁ。という感じでした。
雨だとは云いながらも今日は日曜日ですが、参拝者も思ったより多くはありません。
昨今の熊野古道フィーバー!?からすると、太古の人々にとっての目的地がここだったの?という感じです。
まぁ到達点より、その課程の方が肝心なのかも知れません。

休みの初日に伊勢神宮を参拝しているので、その印象が頭に残っているのもそう思った一因でしょうか?


参拝を終えた後、これも行ってみたかった「大斎原」(おおゆのはら)に向かいます。
(そう距離はないので徒歩でです)
こちらが何なのかと云いますと・・・


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現在の社地は山の上にあるが、1889年(明治22年)の大洪水で流されるまで社地は熊野川の中州にあった。
明治以後、山林の伐採が急激に行われたことにより山林の保水力が失われ、
大規模な洪水が引き起こされ、旧社地の社殿は破損した。
現在、旧社地の中州は「大斎原」(おおゆのはら)と呼ばれ、
日本一高い大鳥居(高さ33.9m、横42m、鉄筋コンクリート造、平成12年完成)が建っている。


明治22年以前は、本宮がこちらにあったそうなのです。
木々の伐採によって、洪水の規模が大きくなったというのは
そのまま現代文化への警鐘となっているような気がします。


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日本一高い大鳥居と書かれていますが、それは立派なものでした。

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歩いて来た方をふり返っています。

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流失してしまった現代は大きな広場として残っています。

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こちらが神殿の跡なのでしょうか!?

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お宮の森はそのまま残ったのでしょうか!?


戻りながらちょっと寄り道をします。

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こちらが産田社です。


世界遺産熊野本宮館の裏手、大斎原方向へ曲がらずにまっすぐのすぐの所に、
熊野本宮大社の末社「産田社」があります。
八百万の神々をはじめ、総てを産みだされた「産土(うぶすな)」の神と崇められている
「伊邪那美尊(イザナミノミコト)」をおまつりしています。
「伊邪那美尊(イザナミノミコト)」の荒御魂の力をうけられる「産守り」は熊野本宮大社で受けることができます。


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こちらも稲の収穫が始まっていました。


これらのものをすべて熊野本宮大社と考えると、やはり大規模な信仰の対象なのだな・・・と思えるようになりました。


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今日のルートは緑線で表示しています。


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熊野本宮大社を出発して、R168(R311)を新宮に向かいます。


これで次の目的地は熊野速玉大社のつもりで走り出したのですが、
途中で気になる標識を見つけました。

「川湯温泉」

世間にある温泉を掲載している書籍には良く出てきます。
このシーズンには無いのですが、冬場には川を掘り返して温泉にしたりしているところです。

このまま見過ごす理由は無かったので、ちょっと寄り道をしてみました。

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県道45号からなんとも懐かしい感じの鉄橋を渡って県道241号へ・・・

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川の中で人が泳いでいるのが見えました。


全国でも珍しい、自分だけのオリジナル露天風呂を満喫!

川底から絶えず湧き出す70度以上の源泉に、熊野川の支流大塔川が混ざり合い、程良い温泉が出来上がります。
夏は川遊びで冷えた体を温め、冬になれば登場する広大な大露天風呂「仙人風呂」をご利用頂けます。
冬の風物詩と呼ばれ親しまれる仙人風呂は12月から翌年2月までご利用頂けます。



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河原では石を掘り起こして湯船にしています。

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入りたい・・・という衝動に駆られましたが、やめておきました。

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これって自分の琴線に触れるのですよね。


そのうち冬季に来ることがあったら、是非浸かってみたいと思います。
つかの間の道草タイムは終了です。

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再度R168に戻りました。


十津川改め熊野川を下っているうちに広大な河原が見えて来ました。
釣りの人だと思われますが、何台かのクルマが河原に降りています。

ちょっと仲間入り!?をしたくなって、河原に降りてみました。

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広いですねぇ。ここでスタックはしたくないので、この先には行きませんでした。

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どうやら鮎釣りをしているようです。 このクルマでしたらそこそこ行かれると思うのですが、ここで引き返します。

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ここを左に曲がって5km程走ると、一昨日通った瀞峡に着きます。今日は直進ですが・・・


ここから先の区間は一昨年の秋に走っています。
その時は水害の直後で、山の崩落は直らず、道の駅は流失し・・・でもの凄い状態だったのですが

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道の駅 瀞峡街道熊野川 は建物はともかくとして駐車場は使えるようになっていました。

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河原の崖で木の生えていない高さまでは水が来たと思います。 恐ろしい・・・


それなりには道も崖の崩落地点も復旧されていました。
人間の力ってすごいものなのですね。

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そして新宮市街に入り、R42を左折しました。

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熊野速玉大社はもうすぐです。


熊野速玉大社(くまのはやたまたいしゃ)は、和歌山県新宮市新宮1にある神社。
熊野三山の一つ。熊野速玉大神(くまのはやたまのおおかみ)と熊野夫須美大神(くまのふすみのおおかみ)を主祭神とする。

境内地は国の史跡「熊野三山」の一部。2002年(平成14年)12月19日、熊野三山が史跡「熊野参詣道」
から分離・名称変更された際に、御船島を含む熊野速玉大社境内が追加指定された。
2004年(平成16年)7月に登録されたユネスコの世界遺産『紀伊山地の霊場と参詣道』の構成資産・大峯奥駈道の一部。



今日の第二目的地!?に到着しました。
タイミング良くクルマを停めることが出来ました。
それほど大きい駐車場でもないのですが、そんなに混み合ってはいません。

・・・ということは、そんなに多い参拝者がいるわけではないのかも知れません。

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こちらは写真撮影可能でしたので遠慮なく。


創建年代は不詳である。

熊野速玉大神は、熊野速玉大社では伊邪那岐神とされ、
熊野本宮大社では同じ神名で日本書紀に登場する速玉之男(はやたまのを)とされる。
また、この速玉之男神の名から神社名がつけられたといわれる。
熊野夫須美大神は伊邪那美神とされる。もともとは近隣の神倉山の磐座に祀られていた神で、
いつ頃からか現在地に祀られるようになったといわれる。神倉山にあった元宮に対して現在の社殿を新宮とも呼ぶ。



新宮という地名はそこから来ているのでしょうか!?
知り合いに新宮さんという人がいるので、どうしてもそのことを連想してしまいます(汗)

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このように引いて撮影しても、人が入らないくらいの参拝者数です。

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何故かここに関しては、自宅近所の神社をお参りするような気分で参拝出来ました。
感じが似ているのかなぁ・・・

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・・・ということで、三山のうちの2つ目の参拝が済みました。

ちょうど昼時になったので、食事をする場所を探すことにしましょう。
by chage_diary | 2013-09-08 19:50 | お出かけ | Comments(0)
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