北信・越中・飛騨 その6 (五箇山集落)
2013年 08月 14日
蕎麦の花の咲く 五箇山相倉集落 です。
2013.07.14(日)
昨晩、道の駅たいらに到着したのは22:30頃のことでしょうか!?
新湊大橋からR156を南下して来ました。
以前もここの駐車場で寝たことがあるのですが、
今回は結構な台数の走り屋さんが集結していました。
ここで堂々と寝るのも良かったのですが、少々不安もあったので
道の駅の裏手にあたる、人もクルマも居ないところに移動して寝ました。
気温は20℃ちょっとだったのでしょうか!?
窓を閉め切ったままでも、あまり暑い思いをすることなく寝られることが出来ました。
あまり記憶に無かったのですが、雨も降ったようです。
隣に停まっているクルマは少なくとも自分が寝た時にはいませんでした。(5:00過ぎ)
早朝の人があまり活動していない時間に動き始めました。
朝のR156を走りはじめます。
川霧がいい感じです。
上の写真にある橋を渡り・・・
金沢方面へ
10分も走らずに五箇山相倉集落に到着しました。
まだ5:00を回ったところでしたので、あまり人もいない・・・と思いきや
集落内にある民宿に泊まっていた人達が散策をはじめていました。
早いなぁ。
ここが集落の入り口のようなところです。
相倉集落は庄川からやや離れた段丘上に位置し、北東にゆるく傾斜する細長い台地に広がっています。
この集落にある32戸の住宅のうち20戸が合掌造り家屋となっています。
「合掌造り」とは、日本有数の豪雪地帯で知られる白川郷・五箇山地方で、
特徴的に見られる急傾斜の切妻造り・茅葺きの民家のことです。
1階は大工の手で造られ、屋根を構成する合掌部分は村人が自分達で造ったものです。
広い屋根裏では養蚕が行われていました。
相倉集落に現存する合掌造り家屋の多くは、江戸時代末期から明治時代に建てられたものですが、
最も古いものは17世紀にさかのぼると考えられます。
史跡として保存される範囲には、これらの民家だけでなく、
田畑・山林・池・道路・屋根葺きに必要な茅を取る「茅場(かやば)」や、
雪崩から守るための「雪持林(ゆきもちりん)」までもが含まれます。
相倉に訪れると、集落と周りの環境とが織りなす美しい風景を目の当たりにすることができます。
ここ五箇山は自分的琴線に触れた集落で、ここ数年の間に何度か訪ねています。
去年のGWに関しては、集落内の民宿に泊まったのですが
今回は無計画放浪ツーリングでしたので、当然予約などは取っていませんでした。
でもせっかくここまで来たのですから、しばらく散策でもしてみようと思います。
早朝撮影でしょうか!? 三脚を持って気合い!?が入っています。 (自分はモノグサなのでめったに使いません)
咲いている花々が夏を感じさせます。
この景色・・・ここ百年くらい変わっていないのだろうなぁ
現役・・・ です。
この合掌造りがいちばん原始的らしいです。
蕎麦の花が満開でした。
茅葺きの家が建ち並ぶ集落では生命線ですね。
相倉集落そのものはそれほど大きくはないので、のんびり歩いても5分は掛からずに反対側(奥)に着いてしまいます。
この先で集落としてはおしまいです。
そこにある右側のお宅が民宿で、去年のGWに泊まった 民宿 なかや さんです。
こちらです。
すでに14か月経っているのですが、泊まったのはつい先日のような感じでした。
こきりこ節に合わせて ささらを鳴らした のが思い出されます。
なかやさんの前で折り返します。
駐車場まで戻って来ました。
集落内をひとまわりした後は、これも定番の集落を見下ろす撮影スポットに登ってみることにします。
徒歩4分って本当なのかなぁ・・・
寝起きの身体にはキツイのですが、あぜ道を歩きちょっとした傾斜を登ります。 (^_^;)
だいぶ登りました。
郷愁を誘うというのでしょうか!?
それとも日本の原風景と言い換えてもいいのでしょうか!?
自分の琴線に触れた景色がここにあります。
・・・ということで、駐車場まで戻って来ました。
なんだかんだ一時間ほどはフラフラしていたようです。
きっと、また来ます。
再度R156に戻り・・・
早朝なので人の姿を見かけることも無く・・・
ホンの10分程度走ります。
相倉集落をあとにして、やって来たのは菅沼集落です。
今日はこのままR156を南下して白川郷へと抜けるつもりなのですが、
その途中にある菅沼集落にも寄ってみます。
こちらは相倉集落よりも更にこぢんまりとしているのですが
言い方を変えると更に俗化されていないような気もします。
菅沼集落は、庄川の谷あいにせり出した平坦地にあり、三方を庄川に囲まれ、
もう一方は雪持林(ゆきもちりん)の茂る急斜面となっています。
集落には現在12棟の家屋があり、そのうち9棟が合掌造り家屋です。これらの合掌造り家屋は、
江戸時代末期(19世紀前期~中期)に建てられたものが2棟、明治時代に建てられたものが6棟、
最も新しいものは大正14年(1925)に建てられ、このころまで合掌造りの家屋が建築されていたことがわかります。
五箇山は江戸時代、和紙や養蚕、鉄砲の火薬の原料である「塩硝(えんしょう)」が主な生産品でした。
菅沼集落でもそれらを生産するかたわら、わずかな土地を利用した稲作と、
なぎ畑と呼ばれる焼き畑農業で生活していました。
塩硝の生産は、明治になって加賀藩の庇護がなくなったことや、安価な輸入品のために衰退してしまいました。
菅沼集落は、小さいながらも日本を代表する山村集落として、昔からの景観を変えることなく、
訪れる人々に歴史を語り続けています。
集落至近の駐車場(この時間(6:30頃)はまだ管理人さんが居ませんでした)にクルマを停めて集落に入ります。
今でも普通に生活をしています。 この景色も大正末期と変わらないような気がします。
改修(茅葺き屋根の葺き替え)前に足場を掛けているようです。
掲示板はいかにもそれらしい!?ですが、掲示物そのものは普通の町内会と同じ感じですね。
合掌造りって重厚だなぁ。・・・と改めて
・・・などと集落内を彷徨っていると、突然雨が降って来ました。
傘など持って来ていないので、とっととクルマに退散します。
(端から端まで小走りで2~3分です)
たぶんこの時間しかここに停めることは出来なさそうです。
今度来る時は、菅沼集落に泊まるのもいいかも・・・
・・・などと思いつつ、菅沼集落は一瞬!?の散策となってしまいましたが
南砺市(富山県)にある合掌造りの集落2つを周ることが出来ました。
ここからは白川郷へと向かいます。
by chage_diary
| 2013-08-14 22:00
| お出かけ
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