倉敷・瀬戸内海 その3 鞆の浦 尾道
2010年 05月 06日
尾道にて。
2010.05.02(日)
倉敷の美観地区を散策した後、9:30過ぎにはお宿であったアイビースクエアを出発しました。
当初このツーリングを画策した時、一泊目の岡山(倉敷)についてはすぐに決まったのですが
2泊目の場所をどうするのかを、結構悩みました。
たとえば、山陰地方に行き島根または鳥取の温泉にでも泊まる・・・とか
いきなり高松に渡り、さぬきうどんツアーでもする・・・とか
自分としては岡山県同様、瀬戸内海の沿岸地域はほとんど行ったことがなかったので
海沿いを辿りつつ、四国に渡ってみたい ・・・というアウトラインは決めました。
・・・ただ渡ってしまうと宿の確保が難しかったのです。
高松近辺は絶対的に数が少ないみたいですし、松山近辺はなんとなく(金額が)高いのです。
そんな中、伯方島の今宵の宿を確保することが出来たので
必然的にしまなみ海道を辿って行くこととなりました。
そうなったことにより、以前から一度は訪れてみたかった尾道を経由することになりました。
また最近、何かとマスコミに露出していた(と自分は感じていた)鞆の浦にも寄ってみることにします。
今日(5/2)の行程です。
今日はあまり距離も出ない筈なので、不要!?な高速道路を使いたくありません。
なのでR2を使って西の方面へと向かいます。
R2の倉敷市街です。このあたりは片側3車線でした。
なかなかの快走路でした。 日曜の朝だからでしょうか!?
何処の地方に行ってもそうなのでしょうが、やはり大きい川を渡る手前の道路は渋滞をしています。
高梁川というなかなか広い川をわたる時は、道の流れが滞りました。
高梁川を渡り、その後久しぶりの給油をしたりして走り続けます。
R2上の案内標識によると、平行して走る山陽道の下り線は今日も混んでいるようです。
気のせいか対向車線もあまり流れが良くないようです。
そのうちに岡山県に別れを告げ広島県に入りました。
広島県の最初は福山市でした。 (ここに来る手前は若干流れが悪かったです)
大門という駅を過ぎたところでR2を左折して、海の方へと向かいます。
JFEの大きい工場が出て来ました。
(一応ショートカットをしたつもりなのですが、あとあと考えるとひとつ手前で曲がってしまったようです)
たぶん入江大橋という橋を渡っています。
芦田川大橋??
そのあとr22を南下していくと、左側に海が見えて来ました。
そうです。 やっとまともに見えるところまでやって来ました。 瀬戸内海です。 !(^^)!
『鞆の浦』
鞆の浦(とものうら)は、広島県福山市鞆町の沼隈半島南端にある港湾およびその周辺海域。
港湾部分は鞆の津あるいは鞆港と呼ばれ、円形港湾で近世の港湾施設がよく残されている。
港湾法上は福山港の一地区として扱われる。
現在は旧鞆町の港周辺の市街を含めた範囲、つまり福山市鞆町鞆・同町後地を「鞆の浦」と呼ぶことも多い。なお本来「鞆の浦」とは「鞆にある入り江」という意味であり鞆港を中心とした海域のことである。
沿岸部と沖の島々一帯は「鞆公園」として国の名勝及び国立公園に指定されている。
鞆の浦周辺は1925年に名勝・鞆公園の指定を受け、
さらに1931年に制定された国立公園法において国立公園として最初に指定された地区のひとつである(瀬戸内海国立公園)。
そのため1934年の国立公園指定当時の記念切手や絵葉書には鞆の風景が描かれているものがある。
なお鞆の浦に含まれる島には仙酔島、つつじ島、皇后島、弁天島、玉津島、津軽島がある。
瀬戸内海の海流は満潮時に豊後水道や紀伊水道から瀬戸内海に流れ込み
瀬戸内海のほぼ中央に位置する鞆の浦沖でぶつかり、
逆に干潮時には鞆の浦沖を境にして東西に分かれて流れ出してゆく。
つまり鞆の浦を境にして潮の流れが逆転する。
「地乗り」と呼ばれる陸地を目印とした沿岸航海が主流の時代に、
沼隈半島沖の瀬戸内海を横断するには鞆の浦で潮流が変わるのを待たなければならなかった。
このような地理的条件から大伴旅人などによる万葉集に詠まれるように、
古代より潮待ちの港と知られていた。
また、鞆は魏志倭人伝に書かれる「投馬国」の推定地のひとつともなっている。
鞆の浦の港町である鞆には古い町並みが残り、1992年には都市景観100選に、
2007年には美しい日本の歴史的風土100選にも選ばれた。
江戸時代の港湾施設である「常夜燈」、「雁木」、「波止場」、「焚場」、「船番所」が全て揃って残っているのは全国でも鞆港のみである。
ただし、焚場の約2割は道路整備事業により破壊される可能性がある(鞆の浦埋立て架橋計画問題参照)。
引用 長くてすみません。 (汗)
鞆の浦は最近何かと話題になっているようですし、
今日は日が日(GW)ですから、もしかしたらクルマを停めることは出来ないだろうなぁ・・・
・・・などと思いつつ向かいます。
ちょっと手前にはシャトルバス用の駐車場もあったりしました。
・・・そんな状態ですので、鞆の浦の近辺に到着したのですが、
やっぱりクルマを停めるところはありません。
待つのを覚悟で、町営の駐車場を待つ行列に並びかけたのですが・・・
某ねこバスのモデルになったと言われている??ようです。
ちょっと面白くないこともあって、そこに並ぶのは諦めました。
その先に、行ってみるとこんな感じです。
仮に鞆の浦に「古い町並み」を期待して来たとすれば、今朝の倉敷でお腹が一杯です。
そもそもここの何を具体的に見たいとかいうのは無かったので、
クルマで普通に走って行かれるうちの、まだ道が広くてUターン可能な場所で折り返しました。
(この先は極端に道が狭くなるようなので・・・)
今日の行程からいくと、パスした方が良さそうです。
・・・まぁ、この先の行程を考えるとしょうがないのかなぁ。
しばらく戻って、海沿いに停まって撮ってみました。
ツーリングマップルによると、鞆の浦の裏山!?にグリーンラインという
お薦めの道が走っているようなので、そちらに登ってみました。
もしかすると鞆の浦を俯瞰出来るかも知れません。
ただ何も見ないで退散するのも、しゃくと云えばしゃくですし・・・
途中で振り返って、さっき通って来た福山のJFEの方を見ています。
だいぶ登って来ました。
またまた登っています・・・
更に登って行き、グリーンラインに合流しました。
中川美術館などというものもありましたが、そこはスルーをして後山公園というところに到着です。
駐車場は10数台分しかなかったのですが、運良く停めることが出来ました。
『後山公園』
さっきの鞆の浦とは違って、決してメジャーな観光地ではないので殺気立った雰囲気はありませんでした。
あたりでは鳥のさえずりも聞こえます。
福山グリーンラインの途中にある尾根沿いの展望公園。
駐車場のすぐ上に丸い展望台があり、ほぼ360度の絶景が望めますが真下の鞆の浦は地形の関係で見えません。
道路を挟んで東側に5分程度歩いたところにも展望台があり、
ここからは鞆の浦の町を見ることが出来ますがちょっと木が邪魔です。
またこの公園の前後は東側の展望が開けていてグリーンラインの中でも景色の良い区間で、
鞆の浦や瀬戸内海の景色が良く見えます。
こ~んな展望台です。(たぶん第一展望台??)
登りましたっ。
あとで調べてみると内海大橋という橋だったようです。
海岸線が入り組んでいますねぇ。
やはりJFEのほうです。
階段降りて戻ります。
駐車場に戻ると道路を挟んで、反対側に降りて行くところがありました。
看板には第二展望台300mとあります。
そこを下って行くと・・・
鞆の浦の街は見えなかったものの、沖に浮かぶ仙酔島を見ることが出来ました。
坂本龍馬ブームに乗っかった? いろは丸という船を復元したもののようです。
第二展望台からはぁはぁ言いながら300mを登って駐車場に戻ってまいりました。
ちょっとやり残した!?ことがあったので、再度第一展望台に登ったりして、ムダに体力を消耗してしまいました。
全く予想をしていなかった場所だったのですが、なかなか良いところでした。
BBQをしているグループなどもいましたが、この陽気じゃ暑いだろうなぁ・・・
先を進むことにします。
目の前の福山グリーンラインをどちらに行こうか考えたのですが、このまま南に下ってみることにしました。
するとっ。
ちょっとした駐車スペースがあり、道路の下に鞆の浦を俯瞰出来るところがありました。
この景色を見られたので、満足っ!という気になりました。 (^_^)v
このまま下りきると、現在鞆の浦でストップしている道路拡張部分の反対側に出てまいりました。
結果的に、迂回コースを辿ってきたことになりました。
あとはそのまま海沿いに半島を巡ります。
途中、さっき見下ろしていた内海大橋の近くで停まったりして・・・
瀬戸内海、静かですねぇ。
ここらへんはビミョーに観光ルートから外れているので
素のままの姿を見ることが出来たと思います。
常石造船という造船所でした。
そんなこんなで再度R2に戻り、次なる目的地尾道に向かいます。
尾道大橋も見えてきた。
『尾道』
岡山市と広島市のほぼ中間に位置しており、この付近は両地域の「緩衝地帯」となっている。
瀬戸内海(対岸の向島との間はその狭さから尾道水道と呼ばれる)に面し、
古くから海運による物流の集散地として繁栄していた。
明治時代には山陽鉄道が開通し鉄道と海運の接点ともなり、広島県東部(備後地方)で最大の都市となるが、
昭和40年代初頭には工業都市化で急速に発展した東隣の福山市に中心地の座を明け渡した。
ただし、現在も備後地方の有力都市のひとつとなっている。
1999年5月のしまなみ海道開通によって四国の今治市と陸路で結ばれ、物流面での利便性が高まり、
建設中の高速道路中国横断自動車道(尾道松江線)が開通すると「瀬戸内の十字路」として
更なる利便性の向上が見込まれている。
「坂の街」「文学の街」「映画の街」として全国的に有名である。
文学では林芙美子、志賀直哉などが居を構え、尾道を舞台とした作品を発表した。
映画では小津安二郎監督の「東京物語」が尾道で撮影され、
大林宣彦監督の「転校生」「時をかける少女」「さびしんぼう」は『尾道三部作』として、若い世代にこの町を有名にした。
またまた長くてすみません。
ということで、尾道に到着しました。
当初の予定では、どこかにクルマを停めて坂道をふらっと歩いて、ラーメンでも食べて・・・
などと思っていたのですが、さすがにGW。 もうクルマを停めるところから難儀しています。
空いている駐車場がありません(泣)
偶然、何軒目かの駐車場に停めることが出来ました。
そのことさえラッキー・・・という感じです。
これが(結果的に)廻った経路です。 (青線はクルマピンクが徒歩です)
まずは、すぐ目の前の尾道水道(海)へ・・・
おおっ、自分がイメージしている映画のワンシーンのようです。
海がキレイなのには驚きました。
もうこの時点で14:00近くになっていたので、まずは昼飯にしようと思ったのですが・・・
前途のように非常に混んでいました。
ここまでクルマで来た時点でラーメン屋というラーメン屋の前には行列がっ。
このアーケード街をふらふらしましたが、食堂そのものがみつかりません。
結局、この大和湯を改装したお店に入って・・・
ラーメンを食べました。
お味はまあまあでしたが、少々観光地価格!?でしたねぇ。
山陽本線 相生行きでした。
いわゆる坂の街尾道は、この線路より山側のことを言っているようですので
何も考えず、踏切を渡りました。
JR西日本です。
何処が有名な坂なのか!?などと考える間もなく階段にさしかかります。
それほどマジメ!?に映画を観ていたわけでもないのですが、どの坂もなんとなく風情があります。
ただし、これは「訪ねている」から良いのであって
実際に住んでいたら大変なのだろうなぁ・・・と思いました。
途中のお寺でひとやすみ・・・
基本的には登って降りての繰り返しでした。
もし真夏だったら・・・
見晴らしのいいところに出てきました。
尾道大橋
天寧寺
映画 時をかける少女 を観たのは何年前のことなのでしょうか?
あらすじはほとんど覚えていないのですが、原田知世さんファンの自分から見ると懐かしい!?景色でした。
最終的にはロープウェイで千光寺に登ろうと思っていたのですが・・・
皆さん考えることは同じようで、ものすごい行列でした。
じゃあ、と思い再度海の方へと下ります。
尾道ラーメンの老舗 朱華園 もすごい行列です。
人が集まりそうなところは何処に行っても予想通りの混雑でした。
午前中の鞆の浦と同様、尾道でも「絶対に○○は」という希望もなかったので
海沿いに駐車場へと戻ることにします。
これまたレトロな公衆電話でしょうか??
アイスキャンディー を食べて・・・
さすが瀬戸内、いろいろな渡し船がありました。
・・・ということで、駐車場に戻って来ました。
食事も含めて2~3時間は滞在したでしょうか?
尾道の街の片鱗くらいには触れることが出来たと思います。
もし今度再訪することがあったとしたら、もう少しじっくり廻ってみたいです。
15:30を回っていたので、今宵のお宿がある伯方島へ「しまなみ海道」を走ることとします。
これもまた楽しみっ!
by chage_diary
| 2010-05-06 23:30
| お出かけ
|
Comments(0)